うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

片付けと個性と社会のことについてあれこれ

私は、このブログで、「家の片付けがなかなか進まない」という話を度々書いてきました。

 

「何らかの事情で、少し進めるも、また止まってしまう」といった繰り返しだったのですが、最近、いろいろな事情が重なり、「今度こそ、気合を入れて荷物を減らさなきゃ」という状況になっています。

 

そこで、このところ、書類整理のようなことをやっています。書類といっても、「古い郵便物」、「会社員時代の配布物」、「各種メモ」などあらゆるものです。相当古いものの含め、ダンボールに何箱も眠っていたものたちです。

 

多くは、今となっては不要なものですが、一部、捨てられないものが混じっているので、「一斉廃棄」という訳にはいかないのです。

 

「わざわざ思い出したくないようなもの」も多く、なかなか手が付かなかったのですが、今回は、めげずに「1件1件」確認して、分類や処分をしています。

 

これがけっこう精神的にきます。

 

でも、今こそチャンスなので頑張っています。「ようやく手が付くようになった時期」だし、「処分する側に気持ちが傾いている時期」なので。

 

作業していて、思うことがありました。

 

過去、いろいろ辛いことがありました。過去の自分の文章に違和感を覚えることも多いです。その原因の多くは「自分が周囲と調和していなかったから」だと思います。

 

私は、自分の主張が理解してもらえないことが多かったのですが、大きく捉えると、私の方が「浮いた存在」だったということなのでしょう。私としては、当たり前のことを言っていただけのつもりなのですが。

 

しかし今、世の中がどんどんおかしくなってきて、逆に、自分の考えに自信が持てるようになってきました。おかしいのは、ただ流されている人たちの方ではないかと。

 

昔、私のことをわかってくれなかった人たちは、今まさに、公の情報だけに流されている人たちなのではないか?という気がするのです。

 

なんか、漠然とした言い方になってしまいますね。

 

本当は、このようなブログでも、声を大にして言いたいことはあるのですが、いろいろな想いがあって、かなり抑えています。今後の社会的な立場のことを考えると、自分をどこまで出してよいものか、悩ましいところなのです。

 

ちょっとだけ私のスタンスを紹介します。私は基本的に保守的な考え方です。「世界では、一部の人たちが発端で、あらゆる出来事が起きていて、世界では騒ぎになっているのに、日本では気づいていない人が多くて、ただならぬ危機感を覚えている」という立場なのです。