このところ、パソコン(以前届いたレッツノート)の設定でハマッていることが多いです。
パソコンの設定作業では、「どっちにするか迷う」ってことが多々ありますよね。「“はい” と “いいえ” のどちらがいいのか」とか「どちらの手順でするか」など。
今回、メールデータの移行方法について、あれこれ考えていた時、「迷うこと」の是非についても考えるようになりました。
私は、けっこう「迷うタイプ」なので、ある過去の出来事を思い出しました。
かつて、会社員時代、訳あって、新入社員時代の上司に長年ぶりに相談しに行ったことがあります。その時、元上司が、おもむろに語り始めたんです。
「仕事が遅い奴の特徴は、いつまでも迷っていること。迷うってことは、どっちだって構わないってこと。右にしたら、そのように対応すれば良いし、左にしたら、そのように対応すれば良い。答えなんてないんだ。」
彼の、私に対する印象に基づく話だったんでしょうね。
その時は、確かにそうだと思いました。少し感化されたところがあって、微妙に行動が変わったと思います。
また、以前の職場で、「すぐやる」のが是、みたいな空気が流れていた時期があり、私も、なるべく「迷わず、すぐにやってしまおう」と心がけることが多くなりました。
(ちなみに、退職前は、緊急対応がある仕事の主担当だったので、けっこう辛かったのですが、一方で、「すぐやる」ことも鍛えられたと思います。)
確かに、片付け仕事的なことについては、迷わずやってしまった方が早いし、保留にしておいたって、時期が来たら、結局また取り出して再確認して・・・ってことになり、時間の無駄ですよね。
一方、「迷うことは、必ずしも悪いことだろうか」とも思います。
「会社員としての是非」と「一個人としての是非」とでは、異なるんじゃないかと。
今の私は、会社員時代に比べて考える時間が取れるので、「迷い続けて、結果、スッキリ答えが出た」というところまで行き着くということもあります。
答えに行き着くというのは、「迷って、迷って、答えが出なくて」、「しばらく置いて」、「エイヤ、こっち!」という感じのこと。
(「エイヤ」とか「エイヤー」というのは、「論理的でなく勢いで決める」みたいな感じの言葉です。私にとっては日常語なんですが、あまり一般的ではないかも知れません。)
こう言うと、「どうせエイヤなら、最初からエイヤにしたら?」と言われてしまうかも知れませんが、私は違うと思います。
「迷って頓挫していた状態」から、突然「エイヤでこっち」に至ったプロセスっていうのは、決して「あきらめた末のデタラメ」ではなく「脳が高度に考えた結論」なのかも知れない、と思うんですよね。
そのプロセスは、複雑で、多次元で、自覚できるようなものではない、というこではないかな?という気がするんです。
きっと、人間の脳って、知らないところで、すごく複雑なことを考えていてくれるんだと思います。
英語の勉強でも、発音の練習でも、「ちっとも進まない(できるようにならない)、あぁダメだ」と思いながらも努力を続け、「忘れた頃にいつの間にかできている」、ってことがあると思います。
脳は、自覚できないところで、勝手に最適化した回路をつないでくれているんだと思います。
このような「いつの間にかできている」ということと、先ほどの「迷ったあげく、あるとき突然、答えが出る」ということとの間には共通項があるような気がします。
だから、脳にそういう能力があることを信じて、その能力を鍛えるためにも、私は、時と場合によっては、「時間をかけて、あれこれ迷う」道を選ぼうと思います。