うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

英語学習のことで誤解されていると思う情報

数日前に書いた「英語発音 ― 学習者向けの情報に惑わされないために」にも少し関係するのですが、英語学習や英語発音のことで「世間で言われていること」のうち、「なんか違うんじゃないか」と思うことが結構あります。

私が「これはおかしいんじゃないか」と思うことでも、世の風潮が「ワーッ、こっちなんだーっ!」って、一つの方向に流れてしまっていると、何となく解せない感じです。

 

たとえば、以下のような話題になると、引っ掛かりを感じることが多いです。キーワードだけ列挙します(思いつくまま、順不同)。

  • 日本人とネイティブ発音
  • 第二言語習得論
  • 臨界期
  • フォニックス
  • インプットとアウトプット
  • 4技能
  • コミュニケーション

 

このうち、最初の3つについて、少しだけ私の考えを書かせていただきます。

 

1. 日本人とネイティブ発音

「日本人にネイティブ発音は可能か?」という議論があります。
この話になると、「そもそも、ネイティブ発音って何を指すのか?」という話になって、しまいには「そもそも、そんな必要はあるのか?」という話になってしまう。どうにも極端だと思います。

 

私は、世の中に大勢いる英語学習者の中には、「完全なカタカナ発音の人」から「ネイティブと区別がつかない発音の人」に至るまで、すべての人が存在して良いと思っているんです。

私の体験から、英語の発音って、アナログ的な成長なんですよ(英語学習と同じように、階段式に成長する面はある)。よって、すべての人が少しずつ頑張って、少し上に行けば、それを褒めるべきだと思います。


ところが、発音の話になると、何かととやかく言う人が現れたり、目に見える結果だけで見られてしまったりする。だから、多くの人が、最初の1歩を踏み出せなかったり最初から背伸びしてネイティブ同士の会話レベルを目指したりするんだと思います。

 

練習を続ければ、少しずつは進むことなんだから、1歩ずつ進めば良いと思います。

 

2. 第二言語習得論(第二言語習得の理論)

よく、「第二言語習得論で、コレコレであることがわかった!」とか、「第二言語習得論に基づく学習法として、コレコレが正しいんだ!」といった主張を聞くことがあるように思います。そのような断定的な言い方をする主張」には、ちょっと疑問を感じます

第二言語習得論で論じられている説って、「確かにそうだな」と思うこともあれば、「うーん、それはどうかな?」と思うこともある、そういう受け止め方が自然だと思うんです。

 

私は、第二言語習得論を扱った日本国内の書籍を何冊か読んだことがあるだけなので、さほど詳しい訳ではないのですが、少なくとも、第二言語習得論って、「最近、コレコレが明らかになった!」というたぐいのものではないはずです。

 

誤解を恐れずに言えば、「壮大な研究テーマ」というか、「仮説のカタマリのようなもの」で、ある説を唱える人がいれば、それと対立する意見も出ていて、内容によっては激しい論争がある世界だと思っています。


日本の専門家の中には、ご自身の主張を補強するネタとして、第二言語習得論の中から都合の良い説だけを持ち出して来ている可能性があります。それ自体は悪いことではありませんが、受け取る方としては、「そういうものだ」と心得る必要があると思います。

 

3. 臨界期

これがまさに、第二言語習得論で論争になっているような話で、臨界期の有無を含め、明確な結論など出ていないはずなんです。「年齢が上がるにつれ習得が難しくなる」ということについては、異を唱える人はほとんどいないはずですが、果たして明確な線が引けるものか。

具体的な年齢を出して、それが臨界期なんだという説があるようですが、その根拠となったのは、どのような研究からか


これについても、私は専門家ではないので、いい加減なことは言えないのですが、あえて私の印象を言うと、「これだけの研究データで、よくもこんなことが言えたもんだな」という「本当に仮説の域を出ない話」が少なくないと思っています。

 

このような、はっきりしない都市伝説に近いような臨界期仮説を根拠にして、英語教育が過度に低年齢化していっていることに、私は違和感を覚えます。(英語の勉強は、もう少し大きくなってからでも良いと思う ― 自発的に勉強できるようになってからが本番)。


こういった話、流されるのは危険で、「英語教育を低年齢化したら誰が喜ぶのか」、「低年齢化した時の弊害はないのか?」 ― 世間の風潮にかかわらず、よく考えた方が良いと思います。