うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

人に測ってもらうことに慣れすぎた日本人

世の中、能力が「数字」で査定されたり、資格や認定のように「あり/なし」で判断されたりすることが多いですよね。個人に対しても、企業等の団体に対しても。

語り尽くされた問題かも知れませんが、私なりに考えてみました。

 

私は、受験とか資格試験とか、すべてが悪いとは思っていなくて、ある程度は必要だと思っています。会社員時代に資格を取ったり、TOEICの点数を上げようと頑張っていたこともありました。それなりに楽しかったし、「あれがあったから、今がある」という面もあります。

 

しかし、数字や合否に偏重するのは問題であることは明らか。悪いことをいくつか挙げてみます。

 

「新しいこと、個性のあること」が測れず評価されない

新しいことや個性があることに対しては、価値があることかどうかも社会的に認知されず、サンプル数も少なくて(極端な場合、1、つまり唯一)、評価基準もなければ、当然、測るツールもないわけです。

いくらその能力が、先駆的ですごいことであっても、評価不能、極論すれば無能扱いになってしまいます。

 

本質ではなくテクニックに走る

数字や合否のためには、当然、「いかに数字を上げるか」、「いかに合格ラインに乗せるか」という世界になりますね。時には必要だと思います。私も、かつては、そうやってきたと思います。

ただ、「試験に出ないことはやっても無駄」という考え方はどうかと思いますし、もっとひどくなると、「試験に出ないことをやるやつは無能、罪悪」みたいな考え方になってしまい、そこまで来ると問題だと思います。

 

評価する側の能力が落ちる・なくなる

「自分で評価せず、業者テストとかの結果だけを見ている」ようなことをしていると、そのうち、評価する側の能力が落ちていってしまうと思います。


それでもまだ、「自分で人を評価できる能力がある人」が参考のために数字や合否結果を見るのなら正常範囲内だと思います。ところが、「もはや自分では評価できず、他者や機械による結果を頼りにしないと、何もわからなくなる」という人が出てくると、いくらなんでも問題ですよね。

 

さて、このような状態が続くと、どのような問題が起こるのでしょうか。

 

先ほど列挙したことが、世の中の方向性を悪くしていってしまいます。

・新しいこと、個性があること、が育たなくなる。

・本質が向上せず、中身が薄い世の中になっていく。

・評価する能力が落ちていく。

 

さらに、もっと深刻な問題があると思います。

「本人が、人に測ってもらわないと、自分の能力がわからない、自信が持てない」

という方向になってしまうと思うのです。

これって、すごく怖いことだと思います。

しかし、世の中、すでにそのような傾向になってしまっているのではないかという気がしてなりません。

 

この世の中、残念ながら、「自分に自信が持てない方」が多いと思いますが、そのような方の中には、「人の判断基準で(人の判断基準だと、きっとこうだろうと想像して)自分自身を評価している」方が少なくないのではないか?という気がします。

 

私の表現は適切でなかったかも知れませんが、とにかく、そのようなことは起きていると思います。由々しき事だと思います。

残念ながら、社会の構造がそういう傾向になってしまっていることは、ある意味、仕方がない面があると思います。

しかし、よく言われることですが、「世の中を変えることはできないが、自分が変わることはできる」はずなんですよね。


理屈上、「私たち自身が、測ってもらえない自分の価値を見える・感じるようになる」ことができれば、自分に自信をもって、良いところを伸ばしていけることになると思います。

しかし、言うのは簡単だけど、やるのは難しいですよね。

「評価されないことを、自信をもってやり続ける」ということですから。

 

私自身の経験からすると、「人からの評価など(人の目など)気にせず、ひそかに温めておこう」と肝に銘じて、なんとかやってこれた面はあります。内心で組織に歯向かい始めた最初のうちは、「いつか、見返してやろう」と思って、歯を食いしばって頑張っていた感じでしたけど、「それすら思わなくなった」時からの方が、なんか良い方向に向かい始めた気がします。

 

この記事のタイトルを「人に測ってもらうことに慣れすぎた日本人」としたのですが、このような傾向は、日本人に限らないことかも知れない、世界中で同じ傾向なのかも知れない、ということが気になり、タイトルを修正しようかとも思いました。

しかし、私の心の中にある「よき時代の日本」って、個性は尊重されないようでいて、実は「ちゃんと見てくれている人がいる」、そんな世の中だったような気がして、タイトルに「日本人」を残しました。

 

今回、「社会における個人の能力」のことを前提にした話をメインにしましたが、もっと広い意味で、日本人が、日本という国全体が、価値・尺度・評価基準・・・なんて言ったら良いかわかりませんが、そういうものを「他者に預けすぎてしまった」ような気がします。

 

自分の能力を信じて、正しいと思ったことをやり続ける。そうすれば、いつか、「見てくれている人が現れる」・・・と信じたいものです。

 

<追記>

私は会社員としてはうまくいかなかったし、今、英語教育に携わろうとしても、その世界でも、相当な変わり者になってしまいそうです。「他の人にはない自分の持ち味」を、どう伸ばして、どう社会に役立てていくか、悩ましいと思っているところです。

今回、なんか偉そうなことを書いてしまいましたが、実は、自分自身でも悩んでいることなんです。