うるさい素人

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自分の個性を振り返る(4) アマチュア無線(後編)

前回の「自分の個性を振り返る(3) アマチュア無線(前編)」で、アマチュア無線のことを紹介しました。

 

小さい頃に無線の免許を取ったことに対し、「どう?すごいでしょう!」というだけなら普通。同じように子供の頃に無線の免許を取った人は人はたくさんいるはずなので、とりたてて話題にするほどのことではないのかも。でも今回は、このような趣味の背景について、少し掘り下げてみたいと思います。

 

 

疑問と気づき

それにしても、どうして、このような「特殊な趣味」に目覚める子供たちがそんなにいたのでしょうか。


単に「好奇心旺盛な少年が、たまたまアマチュア無線に興味を持った」ということではないと思うんです。「社会的にそういう力が働いていた」のだと思います。

 

私なりに「こういうことではないか?」と思ったことがあります。「何かを参考にした訳ではない、私自身の気づき」として、考えをまとめてみたいと思います。

 

もしかしたら、既に定説かも知れないし、間違っているかも知れませんが、現段階で、私が思うことを自由に書かせていただきます。

(前回の記事「 アマチュア無線(前編)」の続編として書きますが、一部、前々回の「電子工作」のことにも関連します。)

 

社会的必要性とプロパガンダ

私がアマチュア無線に興味を持った直接的なきっかけは、「母親の職場と関係があったおじさんが、無線をやっていたこと」でした。
おじさんのシャック(無線の部屋)に入れてもらって、キカイがズラリと並んでいて「カッコいい」と思ったのがきっかけです。

 

そこから無線に興味を持った訳ですが、当時は、アマチュア無線のことを「高尚な趣味」という感じで美化されていたような感じがします。小さな子供や女性がアマチュア無線をやることは「すごいこと」だと、やけに持ち上げられていたような気がします。今思えば。

 

たしか中1の時だったと思います(だとすると私が既に無線をやっていた時になりますが)、学校の講堂(体育館)のようなところで、広報的なフィルムを見た覚えがあります。モノクロの「ニュース映画」みたいな映像。


「少年が無線の免許を取って、自分で無線機を作り、“CQ、CQ”っ呼び出しをする」ような内容。これを全生徒に見せていたんです。完全に仕向けていますよね。

 

無線だけでなく電子工作のことを含めると、「小学生の子供が、単に自分で興味を持った」というにはちょっと無理があります。今思えば。


時代の雰囲気として、「科学技術に興味を持つ少年が登場してくることを促すような力が働いていた」んだと感じます。

 

当時の社会的な必要性として、推測できるものを、以下3点、挙げてみたいと思います。あくまで、私の勝手な想像です。

  • ラジオの普及
  • 軍事の名残り
  • 戦後復興施策としての科学技術の普及

 

3点について、補足します。

ラジオの普及

今では、インターネットで情報を得ることができますが、かつては、情報を広めることはトップダウン。新聞やラジオによる広報活動が主だった時期があるはずです。


特に、戦後ぐらいの時期においては、ラジオを普及させることは重要だったと思います。
性能の良いラジオを普及させるには時間がかかりますが、鉱石ラジオなら、作り方さえ広めれば、比較的簡単に作れたはずです。電波の強い地域限定ではありますが。


昔、「“ラジオは誰にでも作れます” といって、主婦(?)がコイルをグルグル巻いているシーンが出てくるような映像」(モノクロフィルム)を見た覚えがあります。

 

私が子供の時代(昭和40年代~昭和50年代)は、ラジオ作りは電子工作の定番。


私が小学生の時、「科学と学習」という定期雑誌がありましたが、「科学」の付録の教材にもラジオがありました。1石(トランジスタが1個)で、電波が弱い私の地域では入りませんでしたが。


今、思うに、「回路の意味もわからずに、ただ現物を作る」というのは、工学として教えるのではなく、鉱石ラジオ作り時代の発想の名残りだったのではないかという気がします。

 

軍事の名残り

今では感覚が麻痺してしまっている面がありますが、かつては、インターネットもなければ、海底ケーブルもない。国内では電話線や専用線はあったでしょうけど、基本的に、遠くと通信するには、電波で交信するしかなかったはず。


現在、私が住んでいる地域からそう遠くないところに、かつて、軍事用の送信所がありました。跡地を見学に行ったことがありますが、何かと感じたことは多かったです。


電波の技術って、「あったらいいな」というレベルのものではなく、必要不可欠のものだったはずなんですよね。当然、技術者も必要。


アマチュア無線という形で、一般の人が「趣味として嗜む」ようになったのは、その頃の技術者が、趣味として後の世代に引き継いでいったもの(つまり名残り)か、あるいは、電波の技術者を増やすため、底辺を広げようとした意図的な活動か、のどちらかだと思います。


想像の域を出ませんが、「子供でも勉強をすれば無線の免許が取れる」というのは、意図的に用意された道筋だったのではないかと思います。

 

戦後復興施策としての科学技術の普及

戦後の日本で、技術が発展したのは、政治的な作用が少なからずあったと思います。先輩たちのただならぬ努力があった訳ですが、方向付けは、政治的な力によるものだったんじゃないかと思います。


以前の記事「自分の個性を振り返る(2) 電子工作」の準備をした時、NHKの「みんなの科学」の放送リストを3~4年分ぐらいチェックしたんですが、子供に電子工作を教える番組を当時のNHKがやっていたというのは、ちょっと不自然だと思いました。


視聴者のニーズから番組作りをするはずもなく、意図的にそういう番組を構成に入れていたんですよね。


放送リストをチェックしながら、「科学技術に目覚める少年が登場してくることを推奨していたような力が働いていたんだな」と感じていました。

 

考察

私の勝手な推測を書きましたが、戦後の復興において、一定の道筋が引かれていたということは、きっとあったんだろうと強く感じます。

 

私としては、興味を持って、好きでやっていたことなので、それでいいんですが、そもそも論でいうと、「興味を持つような土壌」があって、私は「それに乗っかった組」だったのだと思います。

 

そうやって、技術に目覚めた少年たちが、技術者となり、日本の産業が発展した。

今では逆をやってますけどね。不思議不思議。

 

「日本のお家芸」とも言われた技術。技術というよりも「何としてでも、あの小さな箱の中に回路を納めてやろう」という意気込みというか、それを死に物狂いで達成してやろうという「魂」みたいなものがあったと思います。


今は、なんでもデジタルで、実体のないIT技術で達成しようとする。私たちのようなオヤジの中で育った「何か」については、「そんなものは古い」と、使い捨てになってしまったような感じさえします。複雑な心境ですね。

 

私と同じような立場の人がいたら、どうか、その時の「魂」は手放さずに、対象物を別のものにかえて、日本の後の世代につなげていっていただきたいものです。

 

私はもう、無線や電子などの技術に戻ることはないと思います。パソコンいじりとか、多少の工作はするとは思いますが。

 

しかし、「あの頃に覚えたものが、みな無駄になってしまうのか」というと、そうでもない。創意工夫の精神は今でも私の中にあると思います。

 

また、小学生の時から「波長と周波数の関係や共振のことなどを感覚的に理解していた」というのは、役に立っています。

 

電波の「波」と音の「波」には共通の理屈があります。その後、音楽(オーディオ装置や楽器)に興味を持った際にも、役に立っていたと思います。

 

さらに、英語発音の自主研究にも役に立っています。

発音を物理的に捉えて考察している文献があるのですが、「波」に関する前提知識がなければ何を言っているのかわからないであろう箇所が含まれています。こういうものが読めるということは、とても助かること。

 

まったく別分野だと思っていた興味関心がつながった。 これは、思いがけない、神様からのプレゼントかな、と思ったりします。


まとめ

私にとって、アマチュア無線というちょっと変わった趣味を持ったことは、結果的に有意義だったと思います。


でもそれは、「本当に私がやりたかったことか?」といえば、正直、よくわからないです。

 

なので、「無線」という具体的なテーマではなく、その活動の中で得たいろいろな体験を振り返り、今後の人生に役立てていきたいです。

 

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