うるさい素人

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自分の個性を振り返る(5) スケートボード

私は、このところ、自分の個性を再認識しようと過去の趣味などを振り返る活動をしています。5回目の今回は、「スケートボード」についてです。

 

概要

私は、中学生の時、スケボーにはまっていました。アマチュア無線をやめてしまった次の趣味だった、ということになるはず。

 

スケボーといっても、オリンピックなどで見るような、「ストリート」とか「パーク」といった、あんな恐ろしい立体的なことをやっていた訳ではなく、平面でやっていただけだけです。「フリースタイル」というやつ。

 

今思えば、やっていたのは比較的短期間。上手くはならなかったけど、ワーッと熱くなった趣味でした。


きっかけ

近所の雑貨店で、姉の主導で安いスケボーを買ってきたのきっかけです。

 

ただ、私としては、映画を見に行った時の合間のフィルムで、「アメリカの若者がスケボーをやっている映像」が流れていて、それで感化されたのが大きかったです。

 

その映画とは「グリース」だったような気がするのですが、1978年12月公開ということで、私にとって時期の計算が少し合わない感じがあります。同じ1978年公開の映画のうち、「スター・ウォーズ」や「さらば宇宙戦艦ヤマト」も見たので、それらの可能性もあります。

 

一緒にスケボーを始めた姉は、すぐにやめてしまったのですが、私は、テクニックの本(アキ秋山氏の本など)を買ったり、用具を揃えたりして、はまっていきました。

 

用具

最初に買ったスケートボードは、前述の雑貨店で買ったもの。樹脂製の小さめのものでした。

 

その後、本格的なものを買いました。トランクルームに眠っていたので写真撮影。

 

中学生の時に使っていたスケボー (2022年9月撮影)


デッキ(板の部分)は、「ゴードン&スミス」の「ワープテイル2」というモデル。

けっこう大きくて重たいです。

 

ウィールとトラック(車輪と取付金具)は、「ワープテイル2」とセットになって売られていたもの。本当は、「クリプトニクス」というブランドのウィールが欲しかったんですが、中学生の私には、デッキで精一杯で、とても買えなかったのです。

 

ちなみに、現在では、ウィールはボロボロに割れてしまっていて、写真に写っているのは、内側の「少し違う材質になっている芯」の部分だけです。

 

表裏の画像。

 

「ゴードン&スミス」の「ワープテイル2」 (2022年9月撮影)

 

スケボーは、もともと、サーファーが、波がないときに楽しんでいたものらしいです。なので、本格的な道具は、サーフショップで扱っていたんです。

 

メガネをかけた、一見ガリ勉に見える(実はそうではない)中学生が、サーフショップに出入りしていたなんて、今、思い出すと、ちょっと恥ずかしいです。

 

大したテクニックもないのに保護具だけは一式持っていました。

 

スケボーの保護具(肘用は2種類持っていた) (2014年撮影)

 

思いっきり「形」から入っていますね。当時は、結構ミーハーだったのかも。

 

ここにはヘルメットは写っていませんが、自分で用意したものを使っていました。

スケボー用のヘルメットというのも存在していて、カッコ良かったんですが、買えなかったので、学校指定の自転車用のヘルメットに自分でカラーリングしていました。

 

やっていたこと

自宅の庭に少し通路があったので、細かなことは、庭でやっていました。

 

自宅でのスケボー(中学か高校の時)

 

上の写真、昔のアルバムに入っていたので、スキャナで画像化したものです。

 

この写真の撮影時期は不明です。凝っていた時よりも少し後に、「久々~♪」ということで乗って、姉に撮影してもらったような記憶があります。

 

庭では狭いので、すぐ近くの駐車場でもやっていました。車がほとんど駐車していない、スケボーやりたい放題の駐車場があったのです。今では信じられない。

 

技としては、基本的なことばかりです。中でも、180°ずつグルングルンと回る「エンドオーバー」というのを綺麗にこなしたくて練習していました。

重心移動だけで加速させる「ポンピング」というのも、ある程度できました。

 

素質の壁

すごく夢中になっていたスケボーですが、残念ながら、あまり上手くなりませんでした。

 

今、思うと、練習量が全然少なかったです。練習した時も、「できなくても、同じやり方で繰り返す」ばかりで、「一歩戻って、基本的な動作を安定させる」みたいなことは全然やらなかったので、ダメだったと思います。

 

さらに、もう少しシビアに現実をみれば、「運動神経が足らなかった」、「向いていなかった」面はあったと思います。

 

まとめ

「私が夢中になったもの」の中においては、スケボーは、「かなり一過性のものだった」な面は否めません。

 

上手くならなかったし、運動神経が足らなかったとは思うけど、「好きこそものの上手なれ」と言います。本当に好きだったし、センスゼロという訳でもなかったので、練習のやり方次第では、もう少しできたはず。「あの時の練習方法では上達しなくて当然だったよな」という反面教師的な見方で、当時のことを振り返ると勉強になりました。

 

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