うるさい素人

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自分の個性を振り返る(7) 陸上競技

私は最近、子供の頃の趣味などを振り返り、自分の個性を再認識する活動をしています。7回目の今回は、「陸上競技」についてです。これは、「趣味」という訳ではなく、「中学・高校での活動」ということになります。

 

ある体育の先生との出会い(中学)

私にとっての中学生時代は、悩み多き時代。いろいろなことがありました。


そんな中、紆余曲折あって、ある体育の先生との出会いがありました。当時は昭和50年代。今では考えられないようなスパルタの先生で、「お前ら、根性が曲がっとる、叩き直してやる」みたいなノリでした。やたらと走らされたし、坂道を駆け上がるトレーニングも頻繁にやらされていました。ちょっと思い出すだけで、「嫌なこと」がいっぱい浮かびます。精神衛生のため、スパルタ指導の思い出しはここでストップ。


でも、その先生のおかげで開けたものがありました。

 

陸上競技、過酷な400m走

どういういきさつだったか覚えがないのですが、私は陸上部でもないのに、「400m走を走る者」ということになっていました。


400m走って、短距離走なんですよ。「位置について」・「用意」というスタートは、スターティングブロック(足を置く台)を使ったクラウチングスタート。少しセーブはしますが、それでもダッシュして走り始めます。

 

しかし、短距離の走り方では、走れる距離に限界があるのです。400m走は、「通常一気に走れる限界」を超えて走らなければならない。すると、後半300mあたりから足が動かず、メロメロに泳ぐようになりながら走りきるという、ものすごく過酷な種目なんです。

 

やりたがる人はあまりおらず、逆に、頑張れば選手の中にも食い込んでいける、という感じでした(たぶん、今でもそう)。

 

私は、そのスパルタ先生から可愛がられていたのか、いじめられていたのかわかりませんが、なぜか400mを走ることになってしまった。私も、先生に対して従順だったのか反発していたのかわかりませんが、その微妙な感情によって、根性だけで走っていたような気がします。

 

オープン参加の大会(中学)

私は陸上部ではなかったんですが、その先生の計らいで、ある大会にオープン参加させてもらうことになりました。


もちろん種目は「400m」。他の中学校の陸上部の選手たちに混じって走ったのです。400mトラックの陸上競技場で走るなんて初めてのことでした。しかも、陸上用の靴(スパイク)ではなく普通の運動靴で。


初めての陸上競技会。見学したこともないのに、いきなりの本番。ものすごく緊張していたと思うし、苦しかった。その結果、最下位だけど、別の選手と同タイムとなりました。ビリだけど、後ろはいません。


走りきったあと、どこかからか「あの子、スパイクじゃないよね」という声が聞こえてきて、とても恥ずかしかったです。

 

ビリだったので、スパルタ先生に怒られるかと思ったら、先生はニコニコ。相手は全員、陸上部員、大きく置いて行かれることを予想していたようでした。「もしスパイクだったら、もう1人の陸上部の選手に勝っていた」とほめてくれました。

 

陸上部(高校)

その後、高校に入学し、陸上部に入りました。

 

高校時代の陸上部で使っていたスパイク (2014年、実家を整理した際に撮影)

 

当時興味があったのはドラムだったから、陸上は、「本当にやりたかったこと」ではなかったのです。中学のスパルタ先生が見張っている訳でもないので、陸上部を選んだのは、今、考えても不思議です。おそらく、スパルタ先生の余韻で「苦しいことに立ち向かっていかなければならないんだ」みたいな精神が植え付けられてしまっていたのだと思います。


しかし、結局、あまり真剣にはやりませんでした。そもそも、私が通った高校の陸上部自体が、あまり真剣ではなかった。女子は頑張っていたけど、男子はダレていました。顧問の先生も滅多に来なかったので、「運動部とはとても思えない」ような雰囲気でした。


部員のうち、「男子100mのホープ」の子がムードメーカーになっていました。その子は「ほとんど才能で足が速い」子で、あまり練習していませんでした。なので、その雰囲気が部内(特に男子)に蔓延していた感じでした。


大会も、「あまり出たくないなぁ」、みたいな雰囲気でした。合宿もあったけど、ほとんど遊びみたいな感じでした。


それでも、「やっぱり、陸上は好きだったんだな」という思い出もあります。ほとんどが「自主練」だったので、1人で適当に走っていたんですが、季節によっては、ちょうど沈む夕日の方向に走ることがありました。「トラックの白線が遠近法のように夕日に向かって行く」という光景になったことがあり、「ほとんど誰もいない運動場、夕日と、それに向かう白線、そこに1人立つ」みたいな感じで、青春を感じていました。

 

スウェーデンリレー(高校)

高校の運動会(体育大会とか体育祭という名前だったと思う)で、クラス対抗の「スウェーデンリレー」という種目がありました。4人によるリレーで、100m、200m、300m、400mの順で走ります。もちろん私は最後の400mです。

 

メンバーには少し不良っぽいイメージの子がいて、慣れない感じはあったけど、一緒に練習しました。

 

本番を迎えました。担任の先生も期待しているし、陸上部の先輩と競うことになったりするので、けっこう気合いが入ります。

 

まずは予選。私が頑張って走っていると、担任の先生が大声で怒鳴っています。「この走りではいけないのか?」と思って、限界レベルで走りました。


あとから聞いたら、あれは「もっとゆっくり走れ!」と言っていたそうです。予選は「通過しさえすれば良い」のだから。先生は、「あのセリフ、1回、言ってみたかったんだ~」と満足気にほめてくれました。


決勝でも奮闘。全校優勝だったかどうかは覚えていないけれど、少なくとも表彰はされていました。

 

まとめ

私は、そもそも運動音痴で、体育の成績はひどく、スポーツは苦手でした。そんな中、陸上競技は、(種目にもよりますが)個人競技であり、選んだ400mは、「あまり人がやらない」競技だったので、「私にもできた」という感じです。

 

「本当に好きでやっていた訳ではない」みたいなところもあり、私の人生における陸上は、「過去にやっていた部活、単なる通過点」ぐらいに思っていました。

 

ところが、こうやって振り返ってみると、「私に合っていた面」もあるし、「陸上をやったからこそ身についた何か」があったように思います。

 

これらについて、言葉には上手くまとめらないのですが、「ああ、やはり自分だったな」という気がします。

 

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