うるさい素人

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自分の個性を振り返る(9) 英語・英語発音(後編)

私は最近、子供の頃や若い頃の趣味などを思い出しながら、自分の個性を振り返る活動をしています。9回目の今回は、「英語・英語発音」について(後編)です。前回・今回と、私にとって特に重要なことを振り返る回となります。

(前回の記事:「自分の個性を振り返る(8) 英語・英語発音(前編)」)

 

大学生時代、きっかけ不明の英語学習

初めて英語を習った英語塾はとても良かったんですが、学校での英語の勉強(中学、高校、大学とも)は、楽しくなく、役に立ったことは少なかったです。


そもそも、勉強自体が好きではなかったのですが、大学生時代、突然、自分で英語の勉強を始めました。

 

「何がきかっけだったか」は、まったく覚えがありません。特別な大きな出来事はなかったと思います。


時期的には「ドラムを諦めてしまってから」だと思うので、「情熱をそそぐ別のもの」を求めていたのかも知れません。また、「自分の意見が言いづらい日本社会に嫌気」が差していた頃です。いくつかのことが重なって、「ふと、英語をやろうと思った」のではないかと思います。

 

リンガフォン

(ここでは、1980年代ぐらいに広く売られていた音声教材のことを指します。)

大学時代、「リンガフォン」という教材を買い込んで、英語や発音の勉強・練習をしていました。
私にとって、前編で述べた「英語塾」と、この「リンガフォン」が、私の英語・発音の基礎になっています。当時、リンガフォンをやらなければ、私は今、こんなことを書いていないはず。リンガフォンとの出会いはとても重要なものでした。

 

持っていたのは以下です(1. 3. 4.機器本体 は、今でも残っている)

  1. 最新米語発音講座」(カセット)
  2. 米語新スタンダードコース」(カセット)
  3. 米語中級コース」(CD版)
  4.  LL機器(テープレコーダー「MR-L5」およびヘッドセット)

 

「最新米語発音講座」

これが、私の英語発音に大きな影響を与えた教材です。

 

最新米語発音講座 (1980年代のもの)

 

内容は、音素ごと(大雑把にいうと発音記号の単位)に学ぶようになっていました。テキストに簡単な説明があり、カセットに音声が収録されていました。

 

現在ならば、音声学や、一般向け英語発音の書籍(音声付きのもの)に相当するものです。ただ、解説は少なくて、音声を聞いて練習することが主眼となっていました。

 

最新米語発音講座(上巻の中身、カセット版です)

 

この教材で、1つ1つ練習して、かつての英語塾ではあやふやだったところを学び直すことができました。とはいえ、「発音に自信あり!」というほどできるようになった訳ではなく「こんな感じなのかな?」ぐらいだったと思います。

 

「米語新スタンダードコース」

当時の「英語学習の軸」がこれでした。

 

この教材、「アメリカでの日常生活」を題材にした会話体の教材なのですが、「日常会話ができさえすれば良い」というものではなく、しっかり英語の解説や演習問題などがついていました。

 

アメリカ英語ではあるものの、歯切れの良いとても綺麗な発音でした。私の中では、この教材の音声が目標値になっているんじゃないかな、という感じです。

 

新しい単元(Unit)に入った時、「まずはテキストを見ないで音だけ聞く」というルールだったので、それは厳守しました。ある程度わかるまで、テキストを見ずに何度も何度も聞きました。

 

今でもその癖が残っていて、スクリプトがあるものでもなるべく見ないようにしてしまいます。しかし、今のようにインターネットで音声素材がいくらでも手に入る時代においては、早い段階で文字を見てしまっても良いのでは?とも思います。「勉強する」ことと、「わかるかどうか試す」こと、この2つは別のことなんだけど、どうしても一緒に考えてしまいがち。使い分けた方が良いような気がします。

 

さて、この教材で、多くの表現を学んだ訳ですが、今思うと「あれだけやったのに、本当に英語を習得しようとしたら、あれはホンの一部だったのか」という現実も感じます。

 

「米語中級コース」

スタンダードコースを終え、中級コースを買いました。時代の流れで、カセットではなくCD版となりました。


東京都内の大型書店で買ったのですが、その際、売り場の人に、「すごいですね、スタンダードコースを終えて中級コースを買いに来る人はほどんどいないので」と言われました。

 

残念ながら、中級コースは、スタンダードコースよりも堅い感じで文章が多く、難しくて、途中からやらなくなってしまいました。

 

「LL式テープレコーダー(MR-L5)」

リンガフォンは「LL教材」という仕組みになっていて、カセットに入っている元々の音声はそのままに、自分の音声を何度でも録音して聞き比べられるようになっていました。よって、それ用の機材を持っていました。LL式のテープレコーダーがこれです。

 

LL式テープレコーダー リンガフォン「MR-L5」(1980年代のもの)


これにヘッドセットをつないで練習していました。今では、どこでも見かけるヘッドセットですが、当時(約35年前)には、一般の人が使うようなものではなかったので、これを使っていた人はちょっとマニアックな部類だったかも知れません。

 

海外テレビドラマ

同じく大学生の時、英語の勉強と楽しみを兼ね、アメリカのテレビドラマにはまっていました。


特に好きだったのが、「ファミリータイズ」と「エアウルフ」。次いで、「ナイトライダー」、「マイアミバイス」などです。

 

これらをテレビから録画して、自分で英語学習用のビデオテープを作っていました。

 

以下のように、2台のビデオデッキを使って「英語音声しか収録されていないVHSテープ」を作っていました。

  • リアルタイムでは絶対に見ない。
  • ビデオデッキAでテレビ放送を録画する。
  • ビデオデッキAからビデオデッキBにダビングする。その際、再生側のビデオデッキAの音声は副音声のみにする。
  • ビデオデッキAに入れているVHSテープは、マスターテープとして、次々と上書き録画してしまう。


この手順により、日本語の吹き替えは1度も聞くことなく、英語しか収録されていないVHSカセットのライブラリーが増えていくことになります。英語しか存在しないので、「わからない箇所の答え合わせをすることすらできない」ようにしたのです。

 

こうして作ったVHSテープを、もう数え切れないぐらい繰り返し聞きました。ドラマを見ていると「決まり文句」がよく出てきます。「どういう場面で出てくる言葉かは知っている、真似もできる、でも意味はわからない」というフレーズが結構ありました。

 

これが英語の勉強になっていたかというと、やや微妙ですが、「どういう場面でどういうセリフが出るか」という雰囲気はある程度身についたと思います。

 

FEN(現AFN)

大学生時代、部屋では、いつもFEN(現在のAFN、在日米軍と家族のための放送)をかけていました。聞き流しというやつです。

 

「あまりわからずに聞いていた」というのが正直なところですが、それでも多少はわかるところがありました。

 

1986年1月の夜中、スペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故がありました。FENの放送でもかなりの騒ぎになっていて、「何事か!」と思ってかじりついてニュースを聞いていたけど、難しすぎてわからず、結局テレビをつけて状況を把握した、ということもありました。

 

英会話スクール

大学時代の最後の年だったと思いますが、よくある「駅前の英会話スクール」に1年ほど通いました。


何を思って通おうと思ったのか、まったく覚えていません。

 

でも、クラスの仲間のことや、何人かの先生のことは、結構覚えています。「あんな話題があったな」、「こんな話題があったな」と、思い出せるような話もあります。

 

また、授業の合間か終わりに、ネイティブ先生がたむろしていた休憩場所(お茶場のようなところ)でネイティブ先生らと雑談していたことがあります。今思うと勇気ある行動ですね。


あるネイティブ先生に「あなただけレベルが高いのに、どうして上のクラスに行かないの?」と言ってもらえたことがあります。「基本が大事だと考えるから」みたいなことを答えたと思います。

 

「英会話スクールがどれほど役に立ったか?」というと、「体験としては役に立った」と思います。今ではどこにでも外国人がいますが、当時はいませんでしたからね。「聞いて理解できて、話して通じた」という体験は結構良かったと思います。ただ、あくまで実践練習の場であって、学ぶ場ではなかったと思います。

 

就職・会社員時代

大学を卒業して就職。思い出したくないことが多い時代に突入します。

 

今思えば、英語関係の仕事はけっこうやっていました。山のような英文資料と戦った日々もあったし、英語で交渉ごともしたし、1人でアメリカへ出張したこともありました。

 

ほかの人ではやれないないことを「やってのけた」ことはいくつかあったのですが、評価はされませんでした。接した外国人からのウケは良くても社内では悪く言われる、という感じでしょうか。

 

アメリカとのやりとりが多かった1999年が最後で、それ以降は、仕事も身分も大きく変わって、完全に「自分ではない自分」になっていました。


主要業務からは外れた雑務中心の業務。私としても、英語の「エの字」も出さず、「私が持ち合わせていたもの」とはまるで違う分野の仕事をしていました。それはそれで、勉強にはなりましたけどね。

 

そして、思うことがあって、密かに英語の勉強を再開した、という訳です。


まとめ

11歳から通い始めた英語塾で、発音と文法の基礎を習ったのは非常に大きかったと思います。

 

この塾がきっかけで、私は「英語は耳で聞き、口で発音するもの」だと思うようになりました。よって、その後の勉強においても、必ず「音声教材を買って、発音を聞き、声に出して練習」していました。

 

海外ドラマ、FEN、英会話スクールなどは、ある程度、役に立ったと思います。生きた英語に触れることは良い体験でした。でも、そればかりでは発展性がないので、今なら、「同じ時間を使うなら、普通に英語の勉強をした方が良い」という考え方をします。

 

大学時代に、突然、英語の勉強を始めたり英会話スクールに通ったりしたのですが、「何がきっかけだったのか」まったく覚えていません。でも、もしかしたら、「英語の勉強をするということは、案外そういうもの」なのかも知れないです。

 

今回、私にとっての英語を振り返ってみて、「思いのほか、相当時間、英語の勉強をしてきたんだな」ということを再認識しました。


とはいえ、かなりの部分が発音練習だったので、英語そのものについてはまだまだなんですよね。本当に時間がかかるものです。発音ばかりやっているのではなくて、「一般的な英語の勉強」に力を入れることも考えられますが、「これだけ発音に力を入れることができた」こと自体、私の個性なのだから、私は大事にしないといけない。これを今後の人生で活かしていきたいです。

 

(本記事は、投稿後に、リンガフォンのLL式テープレコーダー「MR-L5」が自宅で見つかったことから、2023/01/03に、関連部分を訂正しています。)

 

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