うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

自分の個性を振り返る(10) ボウリング

私は、このところ、子供の頃や若かりし頃の趣味などを通じて、自分の個性を見つめ直す活動をしています。10回目の今回は「ボウリング」についてです。
(今回は長編で、5,000字強あります。)

 

子供の頃、「レジャー」としてのボウリング

私の子供の頃はボウリングブームで、テレビでしょっちゅうやっていました。また、ボウリング場が乱立していました。今思うと不思議なのですが、当時、家の近所(歩いて行けるところ)にもボウリング場がありました。家族でボウリングに行くことがありました。


子供が弱いボールを投げると、ボールが途中から曲がり出してしまいます。この現象にはちゃんと理屈はあるんですが、当時としては「レーンが傾いてる!」と、レーンのせいにしていました。

 

小学校高学年から中学にかけては、ほとんど行った覚えがありません。中学の時に「あの仲間と行ったな」という記憶が1つあるぐらいです。

 

高校生、初の200アップでマイボールを作成

バンドを一緒にやっていた友達とボウリングをやるようになりました。何がきっかけだったのかは覚えていません。彼も熱中するタイプだったので、行き始めたらかなり頻繁に行っていました。

 

かなりの回数通ったので、「まぐれ」で200が出たんです。舞い上がってしまって、その記念にマイボールを作りました。

 

しかし、扱い方がわからない。なぜ曲がるのかもわからない。点数も出なくなってしまいました。受験・進学のこともあってか、やらなくなってしまいました。

 

大学で、再びボウリング

研究室で一緒だった友達とボウリングをやるようになりました。

 

彼は、私が「徹底的にこだわること」に理解を示してくれた数少ない人でした。私が作ったタイピング練習ソフトを使ってくれたり、私が作っていたスピーカーの製作過程を見に来てくれたりして、よく一緒に行動していました。そして、何かのきっかけで、ボウリングを一緒にやるようになったのですが、そのきっかけは覚えていないです。

 

彼は、カーブボールを投げたくて、どうしたらそうなるのかを試行錯誤しながら練習していました。私は、実家で眠っていたマイボールを持ってきて、練習を始めました。彼は、コツをつかむのが上手い人だったから、彼の方がうまくなっていたと思います。

 

会社に入社後の「趣味探し」

大学を卒業し、Uターン就職しました。地元では名の知れた会社でしたが、入ってみると、かなり古典的な風土の会社でした。けっこう厳しいことが多く、私は「自由を放棄した」ような気分になってしまっていました。

 

社会人としての生活パターンに慣れ、少し余裕が出てきて、「何か趣味を見つけよう」と、模索していた時期があります。


何というか、「趣味が見つからない」こと自体が「悩み」になってしまっていて、高校時代の友達に会うたびに相談していました。友達は「あれはどうか」「これはどうか」と提案してくれるのですが、私は「いや、それはナニナニだからダメだ」みたいなネガティブ思考に陥っていました。


しかし、最終的に、「やっぱりボウリングがやりたいんじゃないの?」ということを言われたんじゃないかという気がします。まったく不明なのですが、もしかしたら、そういうセリフがきっかけだったのかも知れません。

 

社会人になってからのボウリング三昧

そうして、再びボウリングをやることになったのですが、具体的に、どのように始めたのか、まったく覚えがありません。当時、会社のそばにボウリング場があったので、職場の人や上司と行くようになったのかも知れません。

 

ある段階から、同期入社の友達がボウリングに興味を持ち、一緒にボウリングをするようになりました。

 

そこから、その友達との「ボウリング場通い」が始まりました。彼も、夢中になるタイプだったので、毎週末、ボウリングに行っていました。夜中までかけて20ゲーム投げたこともありましたし、旅行先のアメリカでもボウリング場を探して行ったこともありました。

 

プロに教わる

ボウリングではフォームがとても大事です。私が手本にしたのは、あるベテランプロボウラーのフォームでした。安定した基本通りの綺麗なフォームで、憧れていました。

 

そのプロが教本を出していたので、私は、その本を買って、研究し、練習していました。

 

そのプロのユニフォームにボウリング場の名前が刺繍されていました。比較的近隣の地名が入っています。「同じような地名は、全国にいろいろあるんもんだな」と思っていたのですが、まさに近隣のことだということがわかり、びっくり。そのプロは、定期的に、この地域のボウリング場に来ていたのです。

 

プロが来ている時期を確認し、同期の友達とそのボウリング場へ。


いました、本物が。


声をかけるのにドキドキでした。


プロは、私たちが教えてもらいたくて来ていることをすぐに理解してくれて、結構時間をかけて教えてくれました。

 

しかし、教えてくれたのは、「フォーム」ではなく「投げる場所」でした。

 

「3枚目」に投げるよう言われ、「え?ウソでしょ」と思いました。レーンの右端ギリギリ、39枚ある板目の右から3枚目、「一番右のスパット(▲マーク)」と「レーンの縁」との間を通せと言っているのです。ボウリングを長くやっていれば珍しくない場所ですが、当時の私たちとしては、ガターギリギリの綱渡りのような場所です。レーンコンディションは激しく変わります。その日は、そのラインが良いコンディションだったので、「投げ方ばかりではなく、そういうことも見つけて投げられるようになるように」、ということだったのだと思います。

 

その後も、時々教えてくれました。プロは基本に忠実な投げ方をする人ですが、特にフォームを直されることはなかったです。私自身、「教科書通り」の投げ方をしていたからかも知れません。

 

そのプロは、ある段階でボウリング場との契約が終わりになってしまいました。後任のプロもベテランで、フレンドリーな感じでいろいろ教えてくれました。

 

大会

ある段階から大会に出るようになりました。

 

通っていたボウリング場では、日常的に大会が行われていたので、まずは、それに出るようになりました。


練習の時とは違って、「ルール」や「しきたり」があるので、慣れるまでが大変でした。大会の際はファウルのセンサーが入るので、最初はそれだけで恐かったです。

 

その後は、クラブに入ったり、別のボウリング場で行われる「プロアマ」に参加したりもしました。

 

大きな大会では、テレビで見ていたようなプロボウラーと一緒に投げられることがあって嬉しかったです。

 

ボウリング場の社会性

ボウリング場で1人で練習していると、上級の常連さんから声がかかることがあります。


「頼んでもいないのに教えてくれる」というか、その人流の「指導」が始まってしまったりします。私は、幸いにもオーソドックスな投げ方をする上級者の目にとまり、その人が「師匠」のようになりました。外の大会に連れ出していってくれたり、ボールのお下がりを譲ってくれたりしました。

 

しかし、中には、自分とはまるで異なるタイプなのに「とやかく言ってくる人」がいます。


あるとき、そういう人にフォームをいじられ、本来の「師匠」が激怒したといった出来事もありました。

 

私は、「師匠」がリーダーをやっているクラブに入っていたのですが、クラブの派閥みたいなのがあって、「下のメンバー同士は仲良くできない」などという雰囲気もありました。


私は、このような世界がとても苦手でした。

 

投球技術について

ここで、ちょっとボウリングの技術の話を。

 

私の腕前ですが、たくさん練習した割には、イマイチのところで止まってしまいました。ボウリングをやっていれば、時々200点を超えることは珍しくなくなるのですが、崩れた時に調整しきれず低い点数を出してしまうことがあるので、平均するとたいしたことない、というぐらいです。

 

ボウリングの技術は、「適切な投球動作により、強くて正確なボールを投げる技術」と、「レーンコンディションを読んで、点数を出し、試合に勝つための技術」の2つに分けられると思います。

 

後者は場数が重要。私もそれなりに楽しみましたが、基本はやっぱり前者。しっかりしたボールを安定して投げたかったです。

 

ボウリングの投球では、手足のタイミングが重要です。「重いボールを振り子のように振りながら、足でステップを踏む」という結構難しいことをやっているのです。基本に忠実なフォームなら、ステップごとに釣り合いが取れているものなのです。基本の「4歩助走」と「5歩助走」はずいぶん練習しました。

 

正確には、自己流の「変則5歩助走」を身に付けてしまって、ものすごく苦労して「基本の4歩助走」に戻したんです。それから「一般的な5歩助走」にしました。

 

レジャーのボウリングでは、シューズが両足とも滑ってしまったり、手も3本の指で吊り下げるようになってしまったりで、「なんとなく適当なもの」という感じではないかと思います。しかし、ちゃんとした道具とフォームで投げれば、「投げている手応え」がしっかりあるものなのです。

 

最終ステップで、軸足(右利きの場合は左足)に体重が乗って、少し遅れて腕が降りてきて、親指がボールから抜け始める、という感じです。

 

ところが、私の場合、どうしても「わずかに手が早い」タイミングで、親指の抜けが悪かったんです。これがどうしても乗り越えられなかった点です。

 

点数を出す練習ではないので、ピンを払って(ピンがない状態で)練習したかったのですが、そうはさせてもらえない。なので、ピンとはまったく無関係に投げていました。見ていた人には、「この人、マイボールのくせに下手だなあ」と思われていたことでしょう。

 

一方、点数を出すためには、投球技術よりも「読み」や「メンタル」が重要になります。私は、「レーンを読んで合わせていく」ことは実力レベルの割には得意な方だったと思いますが、メンタルが弱くて、途中でダメになってしまうことが結構ありました。

 

ボウリング 2002年8月撮影

(写真は、動画で撮影した小さな画面からキャプチャしたものです。)

 

波瀾万丈の上、断念

楽しかったボウリング趣味ですが、変化が訪れます。

 

変わり始めたのは、私が、会社の激務とストレスで体調を崩してからです。

 

体調を悪くしても、調子が上がる時もあり、ボウリング自体はやっていました。しかし、ボウリング場での人間関係は変わりました。個人練習がメインで、「記録会」的な大会には出るものの、クラブや、色々な人と一緒になる大会からは遠ざかるようになりました。

 

その後、生活が大きく変わり、毎日の暮らしで精一杯になりました。生活の中に「ボウリングへ行く習慣」を組み込むことが成立しなくなってしまい、行くこともなくなりました。

 

当時は、私自身や妻の健康のこと、仕事や介護のことなどで泥沼状態、ボウリングどころではない状況でした。とはいえ、「いつか落ち着いたらやろう」と思っていました。高齢になってもできる趣味だからです。

 

ところが、決定打となってしまっことがあります。私の「心臓病」です。「βブロッカー」という、脈拍が上がりにくくなる薬を飲むようになったので、息が上がるようなスポーツは、もう難しいだろうという状況になりました。そして、ボウリングは思い出に変えることにしました。

 

幸いにも、現在の私の心臓はほとんど正常の状態ですが、薬は飲み続けています。軽いスポーツなら十分できるはずですが、いろいろな想いから、今後もボウリングはやらない気がします。

 

まとめ

私の人生で「ボウリングに夢中になったこと」は何度かあったのですが、それぞれ「何がきかっけだったのか」思い出せません。不思議なものです。ただ1つ言えることは、「必ず、一緒にやる友達がいた」ということです。

 

フォームはかなり練習し、プロに直されることもなかったです。でも、私としては不完全なものでした。「これだけは乗り越えたかった」というところが乗り越えられず、少し残念な感じは残ります。

 

私が打ち込んできた「ドラム」、「ボウリング」、「英語発音」には共通項があると思っています。人それぞれ感じ方はあると思いますが、私としては以下のようにまとめられます。

  • 基礎(基本動作)と応用(基礎を使って実際に何かをする)が別々に存在する。
  • 基礎ができていなくても、一見、それらしいことができてしまう(スティックでドラムを叩く、レーンでボールを転がす、カタカナでで発音する)。基礎ができていないのに、それなりにまとめ上げてしまう人もいる。
  • しかし、本格的な基礎をやろうとすると、けっこう大変で、習得に時間がかかる。
  • 基礎ではフォームが大事で、それが技術の土台になる。
  • 最初は簡単に思えるが、ある段階を乗り越えようとするところで、かなりの壁がある。

 

私は、目に見える結果を求めるよりも、「自分の体で演じようとしていること」の「質」を求める癖があるようです。

 

ボウリングでは、プロや上級者と接することが多かったので、学ぶことは多かったです。私と同じようなこだわり方をする人もいました。思い出すと、いろいろヒントになることが浮かんできます。過去のこととして封印してしまわず、これからの人生に活かしていきたいです。

 

関連記事