うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

英語発音に関する「正反対」の考え方でも本質は同じだったという出来事

私と「正反対」の考え方の専門家が、実は私と同じことに着目していた、ということがありました。発音技術の具体的なことではなく、考え方の話として紹介させていただきます。

 

ここ数年、英語発音に関する常識が、少々変わった方向になってしまいました。世の中、大勢が同じ方向へ行ってしまったり、極端になってしまったりする傾向があるので、あっという間に長年の常識が覆ってしまったようで恐ろしいです。

 

ただ、今の流れは、「解決を急ぐ時代」の社会現象的なもの。一種の流行のようなものだと思われ、いずれまた、変わってくると信じています。

 

しかしながら、今は現実にそういう流れなので、発音の専門家や、発音に詳しい人の意見も、だいぶ独特な方向に傾いてきているように思います。

 

そのような背景から、私の意見は、多くの人の意見とは「正反対」になってしまっているような感じがあります。しかし、私のような無名人が世の趨勢に逆らっても得はありません。ネット上での発言については、相当慎重にならざるを得ません。

 

本題です。

 

「私とは正反対の考え方の先生」がいらっしゃって、私は「どうせ考えが違うから」ということで、しばらく先生の意見には目を向けていませんでした。

 

ところが最近、その先生が「私が着目していることと同じことに着目」していらっしゃることがわかって、大変興味深く思いました。よほど発音に興味がないと気づくことすらないようなことです。

 

しかし、その着目点に対する先生の対策案が、私が取り組んでいることとはずいぶん違っていて、深く考えさせられました。

 

何か問題(壁)に当たった時、「右回りで行く」か「左回りで行く」かということなんだと思います。まっすぐには行けないんだから。右に行く人と左に行く人に分かれる。そこで、一見「正反対」の意見に分かれてしまう。

 

「正反対」だったのは、本質ではなく、戦略の違いだったのです。戦略を提案する人は、「そもそも持ち合わせているもの」、「現在のあらゆる環境」、「何を目指すか」などによる前提に基づいて、仮説を立てて自分自身で検証するなどして、アイデアを考えていくはず。提案者Aさんと提案者Bさんの前提が異なれば、出発点も道具も到達点も異なる訳だから、提案する戦略は全く異なって当然です。

 

情報を受け取る側は、自分にはどっちが合っているかを自分で考えれば良いはずです。ところが、「どっちにすればいいんですか」みたいな人が多いから、社会の仕組み(メディア、教育、検索、SNSなど)によって、「こっちが正しい」というのが1つに決まってしまって、ほとんどの人がそっちへ行ってしまう。そして、「普通に考えればこうでしょ」みたいな常識的なことを言っている人は取り残されてしまうのです。

 

私は、これまでの人生において異端児であったことが多く、発音の世界に入ってもそうなってしまうかも知れません。でも、広く社会に認めてもらえなくたって、本当に発音ができる人がいくらかでも登場してくれば良いのです。「日本人にネイティブ発音ができのるか」なんていう議論が過去のものなれば良いのになぁ、なんて考えたりもします。

 

今回、自分と「正反対」と思っていた人と自分と間に「共通点」があることを見出したことで、もしかしたら「人そのもの」を見誤っていたかもしれない、ということに気づきました。短絡的な判断をせず、少し冷静に物事を見るようにしようと感じた出来事でした。