うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

電気屋の店員さんから見ても私は「少数派」らしい

2022/12/03のブログ『「思い立ったが吉日」で大掃除を開始』にも書いたように、19年以上頑張ってきた冷蔵庫の買い替えを予定しています。今日、電気店に行ってきました。馴染みの店員さんといろいろ相談。話しているうち、私のような人は「少数派」だと太鼓判を押されてしまいました。理解してもらえた嬉しさの反面、ちょっぴり複雑な心境です。

 

トラブル発生以降、冷蔵庫搬入のため少しづつ家の片付けをしていますが、進捗は思わしくありません。しかし、心配事を減らしていく必要があるので、冷蔵庫自体の検討(機種選びや日程など)に入りました。

 

頑張っている冷蔵庫、今は動いています。しかし、いつ停止してしまうかわからないので、この冷蔵庫のまま年末年始を迎えるのは危険。年内に設置できる日程を決めないといけません。

 

まず、希望の機種を絞り込まないと始まりません。カタログでサイズを確認したところ、昔との違いに驚きました。


最近の冷蔵庫、幅はコンパクトでも奥行きがやけに深いんですね。この先長く使うものだから、すごく大きいのにしようと思っていたのですが、残念ながら500Lタイプでないと無理そうです。


妻が譲れないのは「野菜庫が真ん中にあるもの」。それと、メーカーは決めているし、サイズは制約があるので、商品は、ほとんど限られてしまいました。

 

サイズは十分確認したので、設置スペースには問題ありませんが、搬入できるかどうかが心配です。搬入経路にある狭い部分(ドアなど)の幅は測りましたが、それだけでは、「途中で向きを変えられるかどうか?」など、見落としがありそうです。

 

大きな紙で、平面図(上から見た図)の原寸大の型を作って、玄関から設置場所まで通れるかどうかを確認してみました。


その結果、廊下へ通じるドアでひっかかることがわかりました。「開けた時に壁にぶつかるのを防止するストッパー」は外さないと間違いなく通らないです。それを外しても、冷蔵庫に養生を巻いていたら通らない可能性があり、ドアノブも外した方が良さそうです。ちょっと大変ですが、仕方がありません。

 

およその検討はできましたが、わからないことや、在庫状況や日程のことについて、お店の人に相談する必要があります。電気店で、ずっと担当してもらっている馴染みの店員さん(私よりちょっと年上、定年後再雇用で働いているのだと思う)に相談します。

 

ということで、電気店へ行ってきました。

 

その店員さん、ちょうど、冷蔵庫コーナーで接客中でした。そのお客さんは、下調べしていないようで、基本的なことから聞いていたようです。店員さんは、いろいろ力説していました。

 

しばらく待って、私たちの番。

 

私たちの場合、譲れない点は明確になっていて、事実上、型番までほとんど決まっていました。微妙に違う2つの型番について検討。

 

表面がガラスみたいになっているものに決まりかけていたのですが、汚れそうだし、その機種には余計な機能が付いていたので、普通の表面のものにしました。

 

私から店員さんに、「運転モードを切り替える操作をしにくいのでは?」といった意見を言ったところ、そういうことを言う私は「少数派」だとのこと。「そんなことを手動で操作しようとする人はいない、ほとんどの人は、買ったらそのまま、どこもいじらない」というのです。


彼は、今までの付き合いで、私がこだわるタイプであることをよく知っているのですが、今回の私の質問は意外だったようです。彼はさらに、「残念ながら、商品はマジョリティ向けに作られている」と言っていました。たしかにそうですね。だから私は「うるさい人」になってしまう訳で、ある程度自覚はあります。

 

さて、型番が決まったので、搬入・設置に関する調整です。搬入可否については、私なりに一応は確認しましたが、何せ素人判断。下見に来てもらうことにしました。少し先の日程で下見に来てもらい、確定後、正式発注して納品してもらう算段となりました。新しい冷蔵庫が来るのは年末に近い頃になりそうです。一応、商品確保のため伝票処理。

 

これで、冷蔵庫については買い替えの目処が立ち、一安心です。

 

しかし、あれだけ「少数派」だと断言されたことについては、少々ショックでした。


その店員さんも、私たちから見れば「変わっている人」だと思うので、私の個性については理解してくれていると思います。それは嬉しいことですが、今回は、自分の中で「普通の範囲内」と思っていることに対して「そういう人はほとんどいない」と言われてしまいました。私の「外れ度合い」が自覚より大きかったということです。

 

「人から見た自分のイメージ」について、簡単に言えば「自分はどう思われているのか」について、自分の理解を矯正しないといけなくなってしまいました。