うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

ブログ記事の「あるべき論」からの脱却

ブログを始めて6か月強。ずっとモヤモヤしていたものがあったのですが、今朝、目が覚めた時、ハッと「ふっきれた」気がしました。

 

ブログの書き方について、「あるべき論」や「べからず集」みたいな話が良く聞かれますが、「そんなのに従う必要ないんじゃないか」と思うようになったのです。

 

特に思ったのが、日記や雑記について。

 

よく、「芸能人ならともかく、一般の人の日記なんて誰も興味がない」とか、「読者に役に立つ情報を発信しなければならない」とか言われていて、実際、そういう考え方に基づいて記事作成されている方が少なくないように感じています。

 

私自身、ブログを始めた時から、そういう「教え」をずいぶん気にしてきました。でも「どうにも変」だとモヤモヤしていたんです。「ブログを書くのって何のため?」って。多くの人に読まれるような「お役立ち情報」みたいなものをまとめて発信することがブログなのか?と。

 

もちろん、そういうのもアリだとは思いますが、私みたいに「言いたいことがいっぱいある人」にとっては、人の役に立つかどうかではなくて、自分の言いたいことを言えば良いと思うのです。

 

また、読者との関係について、「実利的な情報を共有する」ということではなくて、「精神的な気持ちなどを共感する」ということには価値があるはずです。

 

世の中で言われている情報の価値って、かなり「実利的なもの」だと思います。「お金」、「物」、「効率」など、そういうことが重視される世界。それと反対の「形のない精神的なもの」に対しては、価値として認められていない傾向があるんじゃないかと思います。ハッキリ言って、昨今の趨勢は外国の価値観に基づくもの、だと私は思っています。

 

外国人には理解できないような、日本人独特の精神のようなもの、そういう摩訶不思議なもので日本人が共感し合って団結してしまったら、外から見たら、非常に不気味で怖い存在だという気がします。しかし、それこそ私たち日本人の強みなはず。忘れてはならないことです。

 

理路整然とは説明できないんですが、今の「情報の扱われ方」だと、「全体が同じ方向を向いてしまう(しかも世界基準で)」か「真っ二つに意見が分かれて対立してしまう」かのどちらかになっていくようにできていると思います。極めて少数の立場を半分ぐらいの話にまで押し上げてしまうのも不自然。これでは「十人十色」にはならないです。

 

それぞれの考えをこっそりと認めつつ、でも全体として和となる。とっさに考えたので上手く表現できないですが、私たち日本人って、そういうといころが強いんだと思います。

 

昨今のいろいろな論調に染まっていると、日本はどんどん弱くなっていってしまうと思います。なんか「怪しい論者」みたいになってしまいそうですが、今朝、目が覚めた時、本当にそう思ったんです。

 

そして、ブログの書き方について、「あるべき論」や「べからず集」に囚われるのはやめようと思いました。もっとも、「よく言われているやり方の方が良い」と思う時はそうしますが。

 

ブログを6か月続け、いろいろな体験をしていくうち、「ブログにおいて、何故そういうふうにした方が良いと言われているのか」、だんだん「仕組み」や「からくり」みたいなものがわかってきました。そして私は、そういうのには当てはまらないと思いました。

 

「ブログは毎日更新すると良い」という話もあり、私もずっと続けてきました。これについても、なぜそう言われているか、私なりにわかってきました。これも、今の私にはもう当てはまらない。

 

ただ毎日更新については、既に習慣にもなっているので、私なりの情報発信のあり方について整理がつくまで、もう少しの期間だけ、続けようと思っています。ただ、あまり「まとめよう」とせずに、もう少し散文的で行こうかな、と思っていますが。

 

「いつか書こう」と思っていた「記事ネタ」は山のようにあるので、どうしようかな?とは思います。何かの折に、意見の合う人と意見交換できれば良いかな、というのが今日時点での考えです。