うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

新しい技術は必ずしも使わなければならないものではないと思う

今日、銀行で健康保険料の支払いをしてきました。ワープロで作ったような非定型の納付書なのに、今では機械で処理できるので便利です。

 

銀行の様子もずいぶん変わってきました。窓口は減らしていく方向のようで、タブレットやスマホで自分で処理する前提で、係の人がそのサポートをする、といった光景がいくつか見られました。

 

便利なことは良いことではありますが、私は、このような流れに対し、どうしても違和感を覚えます。

 

つい話が飛躍してしまうのですが、「新しい技術」全般に話を広げて考えてみました。

 

技術が進んでいくのは当然の流れだと思いますが、必ずしも「新しい技術を使わなければならない」という訳ではないはずです。

 

むしろ、「新しい技術をやみくもに追いかけるのは危険なこと」だと思うのです。

 

かつての日本では、新しい技術が生まれると、それを応用した家電などが出てきて、それが「一家に1台」、「ひとり1台」と普及するまでの間、日本の産業が潤ったものでした。

 

ところが今は違うはずです。「これからはコレコレの時代だ」などという感じで新しいものを使うよう煽られ、人々がそれに従う。従わない人が非難されることすらある。しかし、その結果、どこにお金が行くのか、誰が喜ぶのか。

 

そう考えると、「今の流れが日本のためになっているのか?」というと、私は逆なような気がします。

 

新しい技術って、軍事につながることが多いだろうから、ある意味、「危険なものである」という意識が必要だと思います。「悪用すればひどいことができてしまう」ものも少なくないはず。

 

「技術的には可能だけど使ってはならないもの」って、これまでにもいっぱいあったと思います。でも人類の理性によって「使わないように」してきた。まれに本当に使ってしまったものもありますけど。

 

だから、新しい技術は悪用できるものだという前提で警戒し、日常生活に入り込んできたら、人々の方が賢い判断をしなければいけないと思うのです。

 

昨今、異様に煽られているものが多い気がするのですが、なんとなく胡散臭さを感じます。

 

私は、やや古典的なやり方でも良いから、効率的でなくても良いから、目に見えるものを信じてコツコツと頑張った方が良いんじゃないか?という考え方になってきています。