よく、英語のリスニングのレベルの話題で、「映画や海外ドラマ、洋楽が聞き取れるか」みたいな話になることがあると思います。
私の個人的な意見ですが、相当なレベルにならないうちは、このような題材は英語学習には向かないと思っています。
もちろん、楽しむためなら、映画やドラマを見るのも良いし(字幕や吹き替えで)、洋楽を聴くのも良いこと。英語の学習とは別です。
今日、ふと思ったんですが、このような外国から入ってきたものが、かえって日本人の英語に対する苦手意識に拍車をかけているかも知れないです。
日本人が、「英語の音声」や「外国人」に対して、苦手意識というか、引け目というか、極端な話、恐怖のようなものを感じてしまうことがあると思います。言ってみればコンプレックスですよね。
私は、英語の発音をやってきたおかげか、あまり気にならなくなってはいますが、それでも、なにか胸にモヤモヤしたものを感じることはあります。
「どうしてそうなったんだろう?」といろいろ考えてみたんですが、このような外国のものが日本に入ってきた時の「あり方」が、不幸を生んでしまったのではないかと思っています。
どういうことか。
いくらか事例を考えてみたのですが、とても説明しにくい話なので、たとえ話をします。
スポーツやレジャーとかで、見ているだけで恐怖を感じるものとかありますよね。「こわーい!私にはとてもムリ!」みたいなの。そういうものをさんざん見せつけられたら怖くなってしまうと思います。
それと同じで、まだ基本的な英語の音も習得していない日本人が、機関銃のような英語を聞かされて、「どうだ、これぐらいわからなきゃダメだ」みたいに脅しをかけられたような感じ。
それを言っている人(恐怖を与えている人)自身だって、わかっていないかも知れないのに、わかったような顔をしたり。
「ちょっと、全然わらないんで、もっと簡単なものからお願いします」とは言えない雰囲気があったり。
この日本社会の中で、どういう訳か、このような雰囲気が作られてしまったように思えてなりません。特に戦後。そして、ずっと私たちはそういう雰囲気の中に置かれてきた。
さらに、カタカナの外来語が氾濫し、お店の名前とかも意味がわからないような言葉だらけで、まるで「意味がわかることはいけないことだ」みたいな掟があるかのよう。
加えて、英語が必要な環境でもないのに、資格試験などで英語の能力が数値化されて差別的に扱われるるような状況があったりします。
私は、こういう「英語が重要だと言いつつ苦手意識を煽るような社会的雰囲気」に問題があるような気がしています。もしそうだとしたら、そのような「呪縛みたいなもの」から抜け出た方が良いと思います。英語学習者に限らず、です。どうしてもやらなきゃならないことがあれば、しっかりやる必要がありますが、精神まで支配される必要はありません。
洋画も洋楽も、外国のものなんだから、受け入れるも受け入れないも自由。好きなものだけ楽しめば良い。わからなくて恐怖を感じる必要なんてありません。
あくまで、私の勝手な想いなので、それぞれの人の考え方次第ですけど。
私は、英語発音などやっている割には、日本人としての誇りをしっかり持っています。かぶれることも媚びることもしません。むしろそうやって、しっかり地に足をつけた方が、しっかししたものが身につくという信念でいます。