うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

日本人が誇りを持って英語で主張できるようになる日を夢見て

私は最近、ブログで、「日本を大事にする」主旨のことを書いているのですが、読んでくださる方にとっては、私の「日本を重視する面」と「英語の発音を重視する面」のイメージが噛み合わないのではないか?と気になっていました。

 

プロフィールの最後の方(「自己紹介」-「その他の信条」)にも書いていますが、私は、「英語が好きなのに、日本が大好き」という、ちょっと変わったタイプです。

 

でも、私としては当たり前のことなんです。
ちょっと考えてみましょう。

 

<設問>
もし、英語がペラペラになれたら、あなたは、どういう自分でありたいですか?

  1. ネイティブのようになりたい(言葉だけでなく性格や嗜好などまでも)
  2. 日本人として、日本の立場を英語で主張したい

もちろん、中間や組み合わせがあっても構いません。

 

私は、何の疑いもなく 2. なんですが、1. に近いという方も少なくないと思います。
かく言う私も学生時代はそうだったから、わかります。

 

ただ、よーく考えていくと(ブログではとても書き表せないのですが、いろいろな切り口から深く考えていくと)、最終的には、1. は、やっぱり変で、2. になっていくはずなんです。

 

簡単にちょっとだけ説明。

 

話す内容が軽いものであれば、たとえば、「ペラペラになれたら、世界中の人と趣味について話し合いたい」というぐらいなら、1. でも 2. でも大きな影響はないかも知れません。

しかし、自分と相手との間で、「国、企業、その他の立場の違い」があって、「緊張・対立するような関係」になってしまった時、私たちはどういう立場をとらないといけないのでしょうか。

 

緊張状態になったら、1. のようなことは言っていられないはずです。

 

それなのに、なぜ、私たち日本人に、1. のような「ネイティブのようになれたら」という発想が根付いてしまったのか。きっと、大昔からそうだった訳ではなく、いろいろなことで、そうなってきてしまったんですよ。

 

かつて、私の中にも 1. の発想があったんです。でも、いろいろなことがあって、今では完全に消えたんです。だから、今の状況に違和感を覚えるんです。

 

そんな私だから、「2. の立場を取れる人を増やし、強化していく」ために、「日本人の英語発音レベルを底上げしないといけない」と思っているんです。日本人の決定的な弱点が「英語の発音に苦手意識があること」で、これを克服する必要があるんです。

 

これで、冒頭で触れた「日本を大事にする」ことと「英語の発音を大事にする」ことのつながりが、わかっていただけたでしょうか。

 

こんな話を書いたのには、背景があります。

 

今日、たまたま、「子供向けの英語講座」が耳に入ってきたんです。


非常にくだけた会話体で、「なんだ、これは?」、「今、子供にこんなことを教えているのか?」と愕然としました。

 

少なくとも「これは、言葉を教えているのではない」と思いました。意図はよくわかりませんが、強いて言えば「英語での会話の感覚に慣れさせている」という感じでしょうか。

気になったのは、「このような、英語圏のくだけた日常会話のような勉強ばかりしていたら、どういう人格になってしまうのか」ということ。言葉と思考には大いに関係があります。

 

実際には、このような講座は、「少し体験してみる程度」ぐらいの時間数だろうから、「日本人離れ」するようなことはないと思います(私の感覚では、数千時間ぐらいやると問題が出てくると思うので、桁が違います)。

 

とはいえ、人格を形成していく時期に、「日本人としての誇りを持つことに対して、わずかであれ、マイナスの作用があり得るような内容」の教育を行うことに、どうしても違和感を感じざるを得ませんでした。

 

そもそも、日本人に生まれてきたということは、とても幸せなこと。

 

その貴重な価値を軽んじてはいけないし、「外国人っぽくなる」ために、日本の「教育リソース」を使うべきではないと思います。

 

私の理想は、「日本人として、日本の立場を英語で主張できる人」を育てる教育を、「日本人の手で行う」ことです。その一部でも担えたら、というのが私の夢なのです。