うるさい素人

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英語学習におけるインプット・アウトプットとは何を指すのか

英語学習において「インプット」と「アウトプット」の議論がありますが、何を指すのか整理した方が良いと思い、私なりにまとめてみました。

 

 

1. はじめに

英語学習において「インプットとアウトプットのどちらが大事か」という議論が、よく聞かれるように思います。

どちらを支持する人もいらっしゃるようですけど、「アウトプットが大事」という意見の方が勢いがあるような印象を受けます。

 

私は、英語学習でどちらが大事かといったら、完全にインプット重視のタイプです。

一方、発音(および発音を軸とした英語学習)に関しては、声を出さないとダメだと思っていて、単語についても例文についても、声に出す練習を相当量やる必要があると思っています。このことをアウトプットと呼ぶならばアウトプットもかなり大事

 

これらについて、私の中では明確な話だったので、今まで気にしていませんでした。しかし、昨今、いろいろな議論を見聞すると、「そもそも、インプットとアウトプットって何を指しているのか?」について、整理する必要があると思いました。

 

そこで、私なりの意見を以下に整理してみます。私が理想とする発音を軸にした英語の学習過程を追って考えてみたいと思います。

(世間ではインプットとして扱われている部分でも、私としては、その行為からアウトプットに分類している箇所があります。)

 

2. 学習段階ごとのインプット・アウトプット

(1) 発音の習得(音素レベル、単語レベル)

言うまでもなく、英語には英語の特有の音があります。

まずは聞かないと始まりません。音を知らなければ真似もできませんよね。

知らない音(インプットしていない音)を発音(アウトプット)するということは基本的にないはずです。

(厳密に言うと、「デタラメに発音して、発音が先行したあとで音が聞こえるようになる」ということはあります。)

 

まずは聞き、そして練習。さらに、お手本と比較して繰り返し練習ということになります。

 

練習モードに入れば、「お手本を聞いている時間」と「発音練習している時間」とを比較すると、圧倒的に「自分が発音している時間」が多くなるはずです。

 

つまり、順番としてはインプットが先でアウトプットが後ですが、量としてはアウトプットが大部分、ということになります。

 

(2) 単語と文法の習得

「知らなかったことを知ること」が多い活動です。つまり、インプットの活動ですよね。「知らないことをアウトプットする」ってことは、基本的にはできないので。

 

ただ、1つ変なことを言うと、私は、単語帳の学習において、「まったく知らない単語」であっても赤シートで隠して、当てずっぽうで意味を言ってみる、というやり方をずっとしてきました。「その方が効果がある」という研究があるようだったので。しかし、この「うーん」と考えている時間、意味があったのか無駄だったのか、よくわかりません。

 

さて、一応、知識は得たとして、まだ覚えていないことを定着させる必要がありますね。私は、「目で見て焼き付けるように覚える」のではなく「口を動かして体で覚える」のが本来だと思っています。

 

よって、まず「知る」段階としてインプットから始めるものの、「覚える・定着させる」という段階では、ある意味、アウトプットの活動とみることができます。

 

(3) 例文の習得(既存の英文の音読)

私は、英語の学習において、発音を良くするためにも、文法を体得するためにも、この部分が非常に大事で、かつ、相当な期間を要するものだと思っています。

何千という膨大な例文を身体にしみ込ませる必要があると思っているので、私自身、まだまだ序盤だと思っています。

 

私は、人が考えた既存の文章であっても、「声に出して音読する」という行為は、アウトプットにあたるんじゃないかな、という気がしています。

 

よって、例文の音読をアウトプットと呼んで良いのなら、私としては、英語の学習のかなりの時間を占める活動がアウトプットになる訳ですから、「英語の学習にはアウトプットが大事だ」という立場をとることになります。

 

(4) 発話(言いたいことを言えるようにする)

多くの人が「アウトプットが大事」だと主張しているのは、おそらく、この部分のことを言っておられるのだと思います。

 

先の (2)「単語・文法」と (3)「例文」のところでは、「その項目の中においても、インプットとアウトプットがあると思いますよ」といった話をしてきました。しかし、この (4)「発話」については、100%アウトプットと言っても良いですよね。

「発話はインプットかアウトプットか」などといった議論は不要なので、ここでは、この (4)「発話」が、何と対比して重要か、ということを考えていきます。

 

よく、「インプットよりアウトプットの比率を多くすべき」という意見が聞かれますが、おそらく、「インプット系の学習時間」と、「アウトプット系の学習時間」を比較しているのではないかと思います。もし、「インプットで得た知識・技能」と「アウトプットで使う知識・技能」を比較するのであれば、「インプットよりアウトプットの方が多い」というのは筋が通らないと思うので。

 

あるいは、アウトプット重視の意見って、「場数をこなそう」という意味合いが含まれているのではないかと思います。「シャイになっていないで、とりあえず、ネイティブとの会話の機会を作って “Hi” と言おう!」という、意気込み的なことを重視しているのかも知れない。

たしかに、その意義はあると思います。私も、かつて、そのような考え方をしていたことがありますから。

場数を重要視する場合、「不足している単語や表現をどうするか」については「オンライン英会話など、アウトプットの場面で覚えてしまおう」という考え方が結構あるような気がします。

それはそれでアリだとは思うのですが、もし、このような「度胸試し的なこと」や「会話している場面のこと」を「アウトプット」という言葉で呼ばれているのならば、私としては、感覚的に少し違う気がします。

 

このように、アウトプット重視の意見は良く聞かれるものの、「アウトプット」という言葉が指していることが人によって「まちまち」であるような気がします。あくまで私個人の印象ですが。

 

3. 補足

わかりにくくなってしまいましたが、「英語学習においてインプットとアウトプットのどちらが大事か」みたいな話になると。私自身は、基本的にインプット重視なんです。

しかし、もし私が「インプット重視です」などと言うと、「黙って書籍を目で追っているだけ」という印象を持たれてしまう感じがするんですよね。

私は、英語学習って、初歩の段階から「声を出して繰り返し練習するのが大事」と思っていて、ガンガン声を出す方なので、その部分をインプットと呼ばれること(「黙って書籍を目で追っているだけ」なのと同じ扱いにされること)というのは、何か違うような気がします。

私の中では、「声に出す練習」は、「一種のアウトプットではないか」という意識があるので、この記事の中では、どっちつかずのような説明になってしまっています。

 

4. まとめ

単語や例文を習得する過程では、「まずは知る」意味でインプットが必要ですが、「体で覚える」ためには膨大な練習(一種のアウトプット)が必要です。

しかし、その練習部分を「まだまだインプット」と考え、自分で新たな文章を作り上げて発話する段階になって初めて「アウトプット」と呼んで良いというのならば、「言いたいことを言う」レベルに達するには、相当なインプットが必要、つまり「インプットの方が重要」説になるはずなんです。

 

しかし、インプットとアウトプットの議論においては、「習得する知識・技能の量」を議論しているのではなく、「学習にかける時間」を指していることが多いような気がしますし、「アウトプット」という言葉によって「ネイティブと会話している場面」を指していることも少なくないように思います。

 

このようなことから、「インプット・アウトプットは何を指すのか」についての私の結論は、以下となります。

  • 明確な答えはなく、「インプット」と「アウトプット」の定義は非常にあいまいである。
  • よって、「インプットとアウトプットのどちらが大事か」という言い方では齟齬を生じる可能性がある。
  • 話が通じているうちは良いが、話が嚙み合わない場合は、言葉の定義を議論するよりも、具体的に「コレコレすることとナニナニすることの、どちらが大事か」とストレートに言った方が話が早い。

そもそも、この「インプット」「アウトプット」という漠然とした言葉が独り歩きしていることが、余計な議論を引き起こしてしまっているような面がありますね。