皆さま、「プリントゴッコ」というものをご存じでしょうか。
昔、年賀状を刷るのに使っていた家庭用の器具です。かつて、このプリントゴッコを使って、原稿をパカッとやって版を作り、チューブのインクを入れて、年賀状を1枚1枚、手作りで刷っていました。
私の家では、両親の仕事の関係で年賀状の枚数が多く、その印刷を子供だった私が担当していました。
プリントゴッコが登場したのは、調べると私が中1の頃。それより前の小学生の頃にも、手作りでの年賀状印刷を担当していた記憶がありますが、どうやって作っていたのか思い出せなくて残念。少なくとも、プリントゴッコの時代には、年賀状印刷といえば私の出番、みたいな役割になっていました。
プリントゴッコでは、版に「細いスポンジのような仕切り」を貼ることによって、1枚の版でも多色刷りができました。ただ、その方法では、隣接部分の処理ができないため、私は複数の版を作って多色刷りをしていました。位置合わせが腕の見せ所です。
プリントゴッコと類似の話として、私が子供の頃、父は、家で仕事をしている時、「ガリ版」でプリントの原稿を書いてたことを思い出します。
私も真似して「ガリ版」と「鉄筆」で「こども新聞」みたいなものを作ってみたことがあります。
今、思うと、ゆっくりと時間が流れていた時代でしたね。
当時の歴史について勉強不足だったので調べてみると、プリントゴッコが流行ったのは、高度経済成長期から第1次オイルショックを経て、しばらく続いた「安定成長期」という時代だったようです。
産業構造が大きく変わって、企業では大変な時代だったはずなのですが、やけに「ゆっくりしていた時代」だったという印象があります。日常生活においては、「効率がどうの」なんていうことを言われた記憶がありません。
効率どころか、今思えば、なんとも非効率なことを普通にやっていたように思います。
さて、平成から令和となった今、時代は、昭和の頃とは大きく変わりました。
とても便利になったものの、なにか大切なものを失ってしまっているように感じます。
私のような個性派タイプは、居場所がないような感じで、孤独感さえあります。社会に対して言いたいことを言う機会もない訳ですから。
そんな中、私は、次の仕事への足がかりとして、ブログを始めました。退職とコロナ禍で社会との接点が切れてしまったので、新たな社会的な立場を作る入口が必要だったのです。
ブログを始めて1ヶ月強が経ち、自分が書くばかりではなく、多くの方のブログを読ませてもらって、いろいろなことを感じました。
基本的には、「スピードや効率を求める」考え方や、「賢く要領よく稼ぐ」考え方が、思っていたよりも強いと感じました。
また、「現実社会の価値観」と「ネット社会の価値観」が大差ないというのが意外でした。
一方、私が大事にしたいと思う「独特の感覚」を、今でも強く持っていらっしゃる方がいて、とても嬉しかったです。
たとえば、以下のような感覚。
- 手作り感を大切にする
- コツコツと継続することを厭わない
- 他人への感謝の気持ちがある
- 人の役に立ちたいという気持ちがある
嬉しかったというだけでなく、ブログ内のエピソードによっては、救われたような気持ちになりました。
私は、第二の人生を歩み始めるための助走の段階にいます。
今後の「生き方の理想を追求」する上で、過去の時代を参考にするならば、私にとっては「プリントゴッコの時代が最も近い」ということがわかりました。もちろん「良い部分」だけですが。
今後は、あの、プリントゴッコで年賀状を刷っていた時代のことを思い出しながら、「私にとっての新たな理想的な時空の感覚」(時間の流れ方、交流の範囲など)を見い出していきたいです。