うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

自分と似た考え方の情報と出会うことの難しさ

最近、思うんですが、インターネットで「自分と似た考え方の情報と出会う」ことが以前より難しくなっていると感じます。

 

私は個性が強く、考え方が少数派(少数派という言葉には何か抵抗を感じるのですが)なので、実社会では、個性を抑えて、自分の考えを主張することは控えていることが多いです。

 

しかし、ネットの世界なら、いろいろな人がいる訳ですから、もっと自由に、いろいろな価値観の情報と出会えるはず。そういう常識をずっと持っていたのですが、最近、特定のことを深く調べようとしたり、ブログを始めたりしたところ、自分の常識とは様子が違うような感覚があります。

 

私は、ブログこそ最近始めたものですが、年寄りですから、インターネットが普及した1990年代後半から、ネットでの情報収集・情報交換は結構やっていました。
2002年~2003年には、自身のホームページを2つ運営していました。もう20年にもなるんですね。

 

あの頃は、周囲には理解者がいなくても、ネット上なら「自分より上を行く」ような人たちがいて、けっこう楽しかったです(嫌な目に遭って、後処理が大変だったこともありますけどね)。

 

今でも、きっと、そういう個性派の人たちは世の中にいっぱいいて、珍しい情報もいっぱいあるはずなんですが、どうにも「つながりにくくなってしまった」気がします。

 

おそらく、それは、検索エンジンなど、「情報をまとめたり調べたりする」ツール(システム)の影響だと思います。

 

情報を「上げるか下げるか」っていのうは、基本的には「数の世界」なんですよね。支持する人が多いかどうか、多勢に無勢。

 

たしかに「少数派の意見も大切にしろ」という風潮もあるけど、注意が必要。


「多数派」という人たちがいて、それとは反対の「少数派」という人たちがいる。
でも、「少数派」といっても相当数がいたりする訳です。

ここ数年、やけに「考え方が大きく2分される」されるようなテーマが多い気がしますが、「大きく2分」されたら、少数派だって相当な人数がいる訳です。

 

よって、「少数派の意見も大切にする」という考えが根付いたとしても、私が求めるような、「非常に少数の考え方の情報」には行き当たりません。

 

世の中に点在している、ごく少数の人(情報)と、どうつながるか、ということです。

 

「そんなの、手段はいくらでもあるよ」と言われてしまいそうですね。

 

分野によっては、いろいろ手段がありそうですが、私の興味ある分野では、なんとも難しいような気がしています。

 

もし、「対象となる分野・キーワードが珍しいもの」なら、おそらく、その言葉でもって、同じことに興味がある情報・人と出会えると思います。

 

一方、「対象となるキーワードが一般的に関心が高いもの」だと、その言葉の扱いが、何か一定の法則で処理されてしまっているように思います。その結果、「その言葉を使ってはいるが、異なる視点での見方」であるような情報は重視されない。言い換えると、「 “一般とは違う見方” をしているという概念」を「価値があるもの」としては捉えてくれていないんだな、と思います。

 

また、「人々が求めている情報はこれだろう」という情報操作が行き過ぎている面があると思います。

 

自分は「××には反対」だと思っていて、同じような立場の人の意見を見ようと検索しても、出てこなかったりするんですよね。


逆に、「××には反対」の情報を調べているのにもかかわらず、「××に最適な○○ 10選」とか、「××に反対する人がいますが、どう思いますか?」という記事ばかりが出てきてしまって(正反対ではないか!)、同じ考えの意見に出会えない。

 

まあ、社会的ないろいろな影響を考慮してのことだろうから、ある程度は仕方がないことだとは思いますが、「自分が探したい主旨のものが探せない」というのは、私のようなタイプの者にとっては、ちょっと厳しい仕組みになっているよう思います。

 

今回のテーマ、もう少し深く考えてみたいと思うので、また、少し違う切り口で記事を書きたいと思っています。