うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

アクセスの多い情報が価値の高い情報とは限らないのではないか

このところ、ネットで調べ物をしても、思っているような情報に出会えないことが多くなってしまいました。不適切な情報があがってこないような対策がなされているからだとは思いますが、少々やり過ぎのような気がします。

 

最近のSEOのことについては詳しくないのですが、およそ以下のような情報が上位にあがる傾向があると思います。

  1. アクセスが多い情報
  2. 他からのリンクが多い情報
  3. 専門性の高い情報

 

1. 2. は「数の問題」ですよね。今や当たり前のような話ですが、私としては、「数」に絶対的な価値を置くやり方には、基本的な価値観として、そもそも疑問を感じます。


「よく読まれる情報を、よりよく読まれるようにすると、考え方が1つに集約されていってしまうのではないか」と思うのです。

 

本来、十人十色の意見があったとしたら、一通りの意見が公衆の目に触れるようになっているのが妥当な姿だと思います。もちろん、「大きく取り上げられるか」、「小さく取り上げられるか」の差はあってしかるべきだし、社会的・常識的に取り上げることのできない情報もあるとは思います。

 

でも、今は、「少数派の意見は、日の目を見ることさえない」扱いになってしまう傾向があると思います。

 

そうして、世の中の意見が何かに集約されていってしまう。ただ1つの意見に集約されるというより、昨今、なぜか「世論が二分される」テーマが多いですから、最終的には、「大多数の意見が1つになってしまう」か、あるいは「大きく二分される」のどちらかに集約されていってしまう傾向が強いと思います。


私は、これはとても危険なことだと思います。

 

また、先に挙げた「3. 専門性の高い情報」に重きが置かれていることについても、その意義はわかるんだけど、ちょっと疑問があります。医療とかの重要な分野において対策がなされていることなら理解できるのですが、そういう特定の分野以外でも、全体的にそのような傾向があるような感じがするのです。

 

権威のある発信者(政治家、有名人、学識者、企業、専門家など)による情報は「正しい情報である」という前提になっているんじゃないかと。

 

だとすると、一歩誤ると恐いしくみだと思います。そういう肩書のある人でも、おかしなことを言っている人はたくさんいる訳ですから。


「どういう考え方をしている発信者を権威のある者とするか」の設定によって、世論をある程度コントロールできてしまうんじゃないかと思うんです。権威のある者による情報を上げ、それらが読まれるから、アクセスが増えて、同調した意見も出てきて、その考え方で埋め尽くされてしまう。

 

通信やスマホの発達で、これほどまでに、誰もが情報を発信し、受け取り、拡散させ、そういった情報に基づいて実際の行動を変えてしまう時代。検索エンジンやSNSなどにおける情報の扱い方如何により、世の中が変わってしまう恐れがある。私は、ちょっと恐い状況だと思いますね。

 

今のやり方では、世の中がおかしな方向へ進んで行ってしまうリスクがある。情報を扱う技術が、より良い方向に発展していって欲しいものです。

 

少数意見を発信する側としては、どうしたら、それを少数派の同志に届けられるか、模索が続きそうです。