うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

1000人に1人の理解者との出会いを求めて

私は個性派なので、人の集まりの中では、どうしても外れた存在になってしまいます。経験上、「1000人いれば、1人ぐらい理解者が現れるかな」という感じがするので、今日はそんな話を。

 

私が個性派だと言っても、別に極端な思想を持っているとか、前衛的すぎるとか、そういうものではないと思っています。「突き詰めれば、本当はこうだよね」、「実際は難しいけど、理想はこうだよね」みたいなことを言っているにすぎないんです。決して「こうでなければならない」というのではなく、「こうだといいけど、現実はこれぐらいですよね」とバランスを取っているつもり。

 

なので、私の発言に対するリアクションとして期待するのは「そーですよね、私も本当はそうだと思うんですが、いろいろありますからねぇ」ぐらい。

 

ところが、現実社会で私が受けてきたリアクションの多くは、「なにそれ?」「全然わからない」「訳わからん」「何をおっしゃっているんですか?」「(無言)」など。
まあ、すべてがそうだった訳ではありませんが、悪い事例の印象が強いです。

 

振り返ると、小学校高学年から中学の時にも、私が少し外れていたから、だいぶ苦しみました。

 

いろいろなことがあって、自分でもいろいろ悩み、高校では、「人に合わせる」ということを覚えたんです。だから高校生活は楽しかった。

 

だけど、大学に入ると、また周囲と合わなくなって、辛かった。楽しくないことが多かった。「自分の意見が言えるアメリカに行きたい」と思っていたこともありました。

 

その後、会社に入り、さらに個性が萎縮します。

個性を発揮するどころか、意見すら言えないことが多々ありました。

体調を崩して復帰してからは、特にそう。言ってみれば「自分じゃない仮の自分」を演じていた面が少なからずありました。

 

会社以外でも、地域社会とか、いろいろな関係がありますが、そのような場面でも、どうにも浮いた存在になりがち。

「浮いた存在」といっても、決して「場もわきまえずに自分の主張をワーワーと言っている困ったおじさん」とは違いますからね。

 

社交辞令的には、良い感じで交流ができていると思います。挨拶やありきたりの話題ならいいんです。でも、起きている問題とか時事の問題とかで、自分の考えを言い出したらダメ。「この人は何を言っているのか」みたいな雰囲気になってしまう。これはいったい何なんでしょうね。

 

ここまで、悪い話ばかり書きましたが、過去には、時々、私を理解する人に出会えました。

 

きっと、理解者(さらには意見の合う人、ウマの合う人)は「一定の割合」でいるのだと思います。

 

経験則で、どれぐらいの割合で、そういう人に出会えるか、イメージしてみました。

 

過去に属した組織(学校のクラスとか、会社の職場・部門など)を思い出し、どれぐらいの規模の組織なら、そのような人に出会えそうか、想像してみます。

  • 10人や50人の組織では、まずいない。(子供の頃にはクラスに親友がいたのが、今思うと不思議)
  • 100人でもダメ。
  • 250人ぐらいの単位になると、その中で親友に出会えたことがある、ぐらい。
  • 500人でも期待薄。
  • 800人ぐらいなら、うーんという感じ。
  • 1000人規模の中なら、高確率で、1人はいそう。

山勘だけど、こんな感じです。

 

厳しく考えると、1000人でも難しいかも知れない。1万人いれば、だぶん、いる。でも、ちょっと楽観視して、「1000人」と思うようにしました。

 

という訳で、今までに属していたような現実社会では、「良き理解者に出会うのは、そもそも難しかったんだ」ということで強引に納得。ネットの世界なら、「やりよう」によって可能性があります。

 

7月からブログを始め、他の方のブログを読ませていただいたい印象でも、やはり、私は、世間の考え方の「重心」からは少し離れている感じがします。

逆に、一見、何の共通点もない方の中に、「あ、なんとなく感覚が近いかも」という方がいらっしゃって、嬉しくなることがあります。

 

よって、「ありのままの自分のままでいい、装う必要はない」と自信を持つようにします。もっとも、ネットも社会ですから、話題とか表現とかには気を遣いますけどね。

 

今回、「1000人に1人」説を考えてみたんですが、ネット上では、意見が合うテーマに絞ることができるので、「もう少し高確率で理解してくださる方がいるかも?」って思いたいところです。