うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

個性を再認識してブレない自分になりつつあるのかも

最近、子供の頃からの趣味などを振り返り、自分の個性を再確認する活動をしているのですが、一方で、ここ10数年ぐらいの物品の整理も行っています。

 

今日は後者の活動。少し前の書類などが入ったダンボールを開けて整理していたのですが、「これって、自分?」という、すごく不思議な感覚に陥ってしまいました。

 

おそらく、最近の活動によって、「本来の自分」の視点・気持ちになっていたので、「無理して生きていた頃の自分」が読んだり書いたりした物を見ても、もはや、その時の視点・気持ちにならなくなってしまった、ということだと思います。

 

特に違和感を覚えたのは、会社の労働組合の配布物(ニュース)を見た時です。配布されて持ち帰っても、時間がなくて読めなかったので、ドサッと溜まっていたのでした。

 

会社側の人と組合側の人が議論している様子が、顔写真付きで掲載されています。知っている人もいて、私が悩んでいた時に相談した人もいます。

 

しかし、今、そのような方々を見ても、「なんか、別世界の人」という感じがしてしまうんですよね。

 

労働組合の活動ですから、ニュースの内容は、会社側が厳しい情勢を主張し、組合側が組合員の頑張りを主張して処遇改善を求める、というのが典型的なパターン。しかし、そもそも、そういう構図自体が、今思うと別世界のような気がします。

 

私は、この人たちに「自分を認めて欲しい」と頑張っていた時期があるのですが、今、思うと「そんなの絶対無理」だと感じます。もう、本質的に、目指しているものというか、理想というか、価値観が全然違うんですから。この人たちにわかる訳がない。

 

とは言え、籍があった親会社は、基本的には良い会社で、職場での評価は悪くても賃金水準は高めで、制度など非常に充実していました。したがって、それなりの蓄えをもって円満に早期退職ができ、今のような活動ができている訳です。

結果的には、「辛かったけど、通るべくして通った道」だったとは思います。

 

労働組合のニュースだけでなく、自宅でのいろいろなこと(医療とか住宅環境とか)の書類も出てきましたが、やっぱり、自分自身が少し違っていたような気がしました。

 

少し話は変わりますが、最近、YouTubeで話を聞く際も、以前とは違って聞こえるようになりました。同じ人による同じようなテーマの話を聞いても、以前と今とでは、心への響き方が違うんです。その方々の意見やアドバイスを聞いても、以前ほど「気持ちが揺れなくなった」のです。

 

おそらく、自分自身の振り返り活動によって個性を再認識した結果、「人の意見を聞いてもブレなくなった」んだと思います。

 

社会の中で生きていく上では、どうしても「合わせなきゃならない」ことが多いものですが、実は、相当、揺さぶられている方々が多いんじゃないかな?と思います。私がそう言っても、どうなる訳でもないとは思いつつ、今日、感じたことは発信した方が良いんじゃないかと思って、この記事を書いた次第です。