うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

「自分で発音できるようになると聞こえるようになる」説には2種類あると思う

英語の音について言われていることの中に、「自分で発音できるようになると聞こえるようになる」という説があります。

 

私の経験上、その通りだと思うんですが、これには、2つの話が混在しているようなので、気になっています。

 

私の印象では、以下2つの話があるようです。

  1. 「単なる “音” ではなく、“人間が言葉として発する音” として、脳が認識するかどうか」
  2. 「単語やフレーズなどのパターンを、脳が認識するかどうか」

 

このうち、1. は、英語の音を言葉の音として脳が受け入れるかどうかといった「音素レベル」の話。逆説的に言うと、英語の音は自分が出せる音ではないことから、脳が「人間の言葉の音」だと認識してくれず、他の「物音」と同じように流れていってしまって、言葉として拾ってくれない(言語を処理する領域に取り次いでくれない)、という話です。

 

一方、2. は、単語やフレーズなどの「音のカタマリ」を、自分が知っているパターンと照らし合わせて認識できるかどうかの話。たとえば、/θǽŋk ju:/ という音を聞いた時、「Thank you」として認識できるかどうか、という話です。


最近、この後者 2. の解説は、時々耳にするものの、前者 1. については、あまり聞かれなくなったように思います。実は、私がかつて、この説を最初に聞いたのは 1. の意味だったんです。


最初に聞いた時は「なるほど」と思いました。その後、実際に自分の発音レベルが上がるにつれて、本当にそうだと体感してきたので、私は 1. の話は普通にあると思っています。

 

ちなみに、これらの話は、耳で言葉を聞いた時に「全体のパターンで認識している」のか「個々の音素の組み合わせとして認識している」のかという議論と共通の面があると思います。これについては、私は、「両方」だと思っています。補い合っているものだということ。普段はパターンで認識しているけど、ポイントポイントでは音素を聞き取っている、という感じ。ありがちなセリフなら雑音まみれでもわかるけど、初めて聞く単語や、非英語圏由来の固有名詞などは、音素レベルで聞かないとわからないはずです。

 

さて、2. の視点によれば、「Thank you」と聞いた時、1つ1つの音素まで聞いている訳ではなく、全体として聞いた瞬間にわかるものだから、音素にこだわる必要はない、ということになります。では、「音素の習得なんか不要か?」と言ったら、私はそうは思いません。


英語の発音に慣れない日本人が「Thank you」を聞いた時、それを認識するにはするものの、冒頭の「th」を /θ/ として聞いているのではなく、「tha」を「サ」と認識している可能性が高いからです。極論すれば、すべてを母語の音に置き換えて「サンキュー」と認識している可能性が高いです。

 

そのまま全体を聞いているだけでは、いつまで経っても /θ/ の音が聞こえるようにはならない。「thank」と「sank」(sink:沈む の過去形)との違いが、いつまで経ってもわからない、ということになってしまうのでないでしょうか。

 

自分で、 /θ/ の音が出せるようになって、子音 /θ/ と母音 /æ/ は、日本語よりも独立した傾向があるものなんだ、ということがわかって、ようやく、「サ」ではない /θ/ が聞こえてくるんじゃないかと思います(thに関しては母音への移行部分が識別に寄与するところが大きいと思うので例としては適切ではなかったかも知れません)。まぁ、何をどう認識するかというのは、きっと複雑で、そんなに単純に言い切れるものではないとは思いますが。

 

よって、音素の発音を習得するよう推奨したいところですが、「それをやればすべて解決するのか」というと、そう簡単にはいかないのが悩ましいところです。私も「こうしましょう」と提唱しづらい。

 

なぜなら、2.(パターン)は、割とすぐにできるようになるのに比べ、1.(音素)については、そう一筋縄にできることではないからです。例えば以下。

  • 音素に関して、この説でいう「発音できる」レベルというのは、世間で思われているよりもかなりハイレベル(カタカナに味付けした程度のものではない)で、習得するのは大変。
  • 発音できるようになっても、頭の中で「発音の動作」と「聴覚の認識」がつながる(脳内で連動する回路のようなものができる)のには時間がかかる。
  • 発音できるようになっても、母語干渉により聞き分けられないものが残ってしまうことがある。

 

このように、2. は短期間でできて再現性があるのに対して、1. については、時間はかかるし完全にはならないので、これについて言及する人が少ないのではないか、という気がしています。

 

今回の話題、どこまで書くか、非常に迷いました。深い話をしようとすると、うかつに書けないことも多いので、この辺で。

 

とにかく、「この話には2種類あると思いますよ」というお話でした。