うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

英語発音に対する意識の違いをラーメンにたとえてみた

英語の発音について、「良い発音」といっても、その意味するところは千差万別です。

 

最近、発音を「学んでいる人」や「教えている人」の意識に着目しているのですが、「良い発音」の意味するところには大きな幅があり、かつ、ほとんどの人の意識が、私の目指すところとは大きくかけ離れていることがわかり、驚いています。

 

私は、このブログの中で、時々発音のことを書いていますが、私の根本的な考えをわかってもらえないと、私が、「今、何をしているのか」、「今後、何がやりたいのか」、わかってもらえるはずもありません。

 

そこで、ひとつ、たとえ話を考えてみました。

 

蛇足ですが、今日、スーパーで買い物をした時、カップ麺をいくつか買ってきました。普段は減塩のため控えているんですが、今日は無性に欲しくなったのです。

 

そんなこともあり、今回は、英語発音をラーメンにたとえ、意識の違いを表現してみることにしました。

 

ラーメンには種類があります、「カップ麺」、「袋入りのインスタントラーメン」、「冷蔵で売られている袋入りの生ラーメン」、「レンジでチンするタイプのお弁当形式ラーメン」、「お店のラーメン」など。お店のラーメンにおいては、工場で作られた麺やスープを使っていることもあれば、自家製のこともありますね。

 

ここから、たとえ話。不適切なたとえがあるかも知れませんが、ご容赦くださいね。

 

「日本人が英語の発音を習得しようとしている姿」をラーメンにたとえるなら、「袋入りラーメンを作って、本格的な感じになるように具を足して、盛り付けを工夫する」という感じがします。


決して、それがいけない訳ではないです。袋入りラーメンでも、うんと美味しいものになるし、やりようによっては、人に出せるレベルにもなる。

 

一方、私が取り組んでいる英語発音は、ラーメンにたとえるなら、「麺とスープを1から作る」というもの。最初は全然ダメだったけど、何年もかけて試行錯誤を積み重ねていくうち、だんだんわかってきて、「きっと、これを極めれば本格的なラーメンができるようになりそうだ」という感触を得てきている、という感じ。

 

しかし、麺とスープはそこそこのものができるようになったけど、ラーメンの形にすると何か違う。麺とスープが合わないのか、なんだかわからないけど、美味しくはないし、見た目もダメで、ラーメンとは呼べないシロモノ。

 

「具を入れればラーメンっぽくなるかな?」という考えも浮かんだけれど、やはり、「麺の何かが違う」のではないか、「スープの何かが違う」のではないか、と研究してみることにします。


あるとき、「あ、わかった」と思って配合などを変え、一歩、近づきます。「今まで、全然気づかなかったけど、全然違うじゃん!」ということに気がづく。その繰り返し。何段階も何段階も、「今まで全然気づかなかった」ということに気づきながら直していきます。

 

ここで、ちょっと言いたいことがあります。

 

こういう研究をしているとき、「そこには、丼に入ったラーメンの姿はありません」。麺は麺、スープはスープ。それを合わせて試作ラーメンを作ってはみるものの、また麺とスープに戻る。大事なことは、「丼に入った完成形のラーメンの姿を追い求めていては、麺やスープのレベルは上がっていかない」ということです。


「袋入りラーメンをベースに工夫する」というやり方を続ける以上、「麺やスープには一切、手を付けていない」のです。英語発音でいうなら、「日本語を話す際の動きの範囲内でやろうとしている」ということです。

 

さて、「麺とスープを1から作る」というのは理想的であっても、現実問題、いつになったらラーメンとして完成するのかわかりません。「無駄な努力」、「コスパ最悪」みたいなことを言われるかも知れません。

 

でも、私は自家製ラーメン(本格的な発音)にこだわります。なぜなら、曲がりなりにも、ラーメンの麺が作れるし(たとえです)、ラーメンのスープが作れる(たとえです)からです。

 

1から作ろうとする人は少ないでしょう。でも、麺作りやスープ作りに挑戦する人が1人もいなくなっては困ります。教える人が1人もいなくなっては困ります。だから私はこの道でいきたいのです。

 

発音を教えている先生はたくさんいらっしゃいますけど、私が取り組んでいるようなことまで掘り下げている人は極めて少ないみたいなんですよ。

 

すごいレベルの先生もいらっしゃいます。有名な先生もいらっしゃいます。そのような先生であれ、ご自身では高度な研究をされていても、生徒さんに教える時は、短期間で完成形に持って行こうとされるケースが多いんじゃないでしょうか。社会的な需要を考えると、そうなってしまうのではないかという気がします。


でも私は、「それでも麺とスープを1から作りたい」という人に、時間はかかっても自分の持っているものを伝えていきたいと思っているのです。

 

最後に、「基本にこだわっていては、いつまで経っても完成形にならない」という問題について、現実を考えてみます。

 

自家製ラーメンは未完成であっても、自分自身がお腹がすいてラーメンを食べることがあるでしょう。その時、私だったら臆せず袋入りラーメンでも食べます。「目指す本格的なものと実用的なものは別」と割り切る、という考え方です。

 

ただ、そうやって袋入りラーメンを食べる場合、私なら、具はあまり入れないと思います。「なぜ、インスタントラーメンって、こんなに美味しいんだろう」、「なぜ、僕が作るラーメンはマトモなラーメンにならないんだろう」って、思いをはせながら、美味しいインスタントラーメンを食べると思います。

 

そして、満足して、ヒントを得て、また研究に戻る。たとえ話の世界にいる私は、きっとそうしていることでしょう。