うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

Bluetooth設定を通じて感じた「個」の重要性

今日、記録の整理をしていて、以前行ったノートパソコンの設定を確認した時に、ショックを受けて考え込んでしまったことがあります。今回はそれについて書きたいと思います。

 

Bluetoothの設定を再確認していたら、ご近所のBluetooth機器が表示されました。マンションなので、けっこういろいろなものが表示されます。

 

Wi-Fiの設定で、近くの機器が表示されるのを見かけますよね。Wi-Fiならば、たいていルーターの名前が出てくるのに対して、Bluetoothでは、実際に使っている機器名が表示されてしまいます。

 

今回、「機器名に個人名が入っている」ものがあって、何となく気持ち悪い気がしました。まあ、知っている人だし、Bluetoothが届く範囲でのことだから、特に問題ではないんでしょうけど。

 

また、我が家のではないテレビが2台表示されました。片方は「シリーズ名」でしたが、片方は「型番」が表示されました。型番がわかれば、テレビのサイズや価格帯までわかるんですよね。「それがそうした?」って・・・「感じ方」でしょうけど、私には何となく気持ち悪い気がします。

 

「見えるって言っても機器名だけでしょ?通信内容まで見えなければ、それでいいじゃん」って言われてしまいそうな話ですね。

 

しかし私としては、中身まで見えなければ良いとは思えなくて、パソコン(Windows 11)のネットワーク関係の設定項目を見ていると、すごい違和感を覚えてしまうんです。

 

私は、MS-DOSからWindows 95、2000、XPまでは、かなり設定にこだわった方です。しかし、Windows 7以降、特にWindows 10以降は、時間がなくてやっていられなくて、「理解してカスタマイズする」ということはほとんどやっていません。よって理解が浅いので、具体的なことは書けないんですけど、何か変だと感じました。

 

私の認識が違っているかも知れませんが、いろいろな設定項目を見ていての感想です。

 

なんだか、あらゆる機器、極端なことを言えば世界中の機器がつながっている状態を前提として作られていて、「さすがに初期設定でそれではまずかろう」というものが切ってある、という印象を受けたんです。

 

もし、本当にそういう思想が前提にあったとすると、私としては、とてつもない違和感を覚えざるを得ません。

 

「この気持ちは何だ」と考えてみました。一応、今日の段階での答えはわかりました。

 

「このようなやり方を続けると、自分自身の領域、いわば「個」の境界が曖昧になり、個と外界が混じっていってしまう」ことに違和感を覚えるのです。

 

私の感覚では、以下のような考え方が妥当だと思います。ITに限らない形に一般化して表現します。

  • 自分自身の「個」の領域は守り、必要に応じて、外界との交流を図る。
  • どこまでが「個」なのかという境界を意識している。
  • 必要がなければ「個」に戻る。
  • 外界と交流するときは、「何をどこまで開くか」は自分で管理する。
  • 何も「外界から孤立する」ということではなく、分けるものはしっかり分けた上で、相手を尊重すれば良い。
  • 知らず知らずのうちに「混ざる」のは良くない。

 

蛇足ですが、私は、身内の事情で、普段の生活でも「個」になりきれないところがあるんです。家族は2人だけだけど、私は一応、我が家の世帯主。でも、身内と我が家の境界が曖昧で、「今日、自分たちの予定通りに過ごせる保証がない」という気持ちがあって、精神衛生上、良くない状態が続いているんです。そんな気持ちがあるから、余計、こういうことに敏感なのかも知れません。

 

パソコンやIT機器の話に戻します。


世界中がネットワークでつながる時代、無線により他人のところまで自分のデータが(暗号化されてはいるが)飛んで行ってしまう時代。「セキュリティ対策で、他人には見えなければ大丈夫」ということになるんでしょうけど、私としては、少し違う観点で、危険があると思います。

 

それは、「個」の範囲、自分と他人の境界が曖昧になることです。自分のことがどこまで見えているのかわからず、うやむやのうちに「混ざる」ことです。そして「徐々に変化することに慣れてしまう」ことです。


「世界中の機器がつながる」のが前提になっていると、技術の進歩につれて、慣れていってしまうと思うんですよ。最初、抵抗があったことでも、そのうち、「今、みんなそうだし、仕方がない」と思い、そのうちまた、抵抗感を感じる技術が出てきて、また、「仕方がない」と思ってしまう。


そうやって、どんどん曖昧になってしまって、そのうち、どこに自分と他人の境界があるかわからなくなってしまう。やがて、自分の「個」を意識しなくなって、見失ってしまうのではないか、という恐ろしさを感じます。

 

他とつながるということは、自分ではない「ヨソ様」との間でデータが行き来できる寸前まで通じてしまっているということ。どの部分を開くかは、それぞれ双方がコントロールできないといけないはずです。自分の側は自分がコントロールするんです。


自分がしっかりして、「基本は閉じていて、開く必要がある時に、必要なところだけ開く」。そうしていないと、自分を守れなくなってしまいます。自分の側の管理を人任せにしていては、「差し上げている」のと同じ。

 

これは、IT技術に限ったことではないと思います。また、個人だけでなく、家族、組織、地域、国家にも当てはまるのではないかという気がします。

 

私は今日、「これは良くないと思う設定」を直そうと思ったけど、結局、調べても直せませんでした。一見、設定変更できたように見えたんですが、確認したところ、設定が戻ってしまっていました。結局、そういう仕様なんだろうと諦めました。他にも気になる設定は多数あるんですが、それを調べることすら断念してしまいました。

 

「これはいかんな」と思いました。現実問題、対処できることには限りがあります。しかし、自分の「個」の領域をしっかり意識して、「本来、ここは自分で管理して守らないといけないものなんだ」という気持ちを持ち続けることだけでも、何も意識しないのとでは違ってくると思うのです。