このところ、物事の進みが悪く、打破するための試行錯誤の日々が続いています。毎日10個ぐらい、「今日、やれるといいな」という「やること」があるのですが、結局、1日に「2つか3つ、やれれば良い方かな」という感じです(毎日やっている日課は含みません)。
今日は、「やること」のうち、「いつも後回しになっていること」を先にやってみたら、少し楽だった気がします。「べき論」や「合理的な段取り」みたいなことに、あまりとらわれない方が良いかな、という気がしたので、そのことについて書いてみます。
子供の頃、良く聞かされたことに、「好きなことをやるのは、やるべきことをやってから」というのがあります。
セリフは少し違ったかも知れません。誰にどう言われたのか、よく覚えていないんですが、いつの間にか「そういうものだ」という感じで「教え」がしみついているように思います。
とはいえ、実際には、私は「趣味優先」でやっていたし、夏休みの宿題なんかも、やらずに溜めてしまい、夏休みの終わりに慌ててやっていたタイプなので、子供の頃はしみついていなかったようです。
ところが今、毎日の行動の流れを組み立てる時、どうしても、この「やるべきことをやってから」という発想が前提になってしまいます。
もう少し詳しく言うと、以下のような感じ。
- 先:「嫌なこと」「やり始めるのに気合がいること」「面倒なこと」
- 後:「楽なこと」「やり始めやすいこと」「本当にやりたいこと」
毎日、「先にやるべきこと」を優先して「何からやろうか」と考えるのですが、1つ目を始める前から「げんなり」してしまうことがあります。
おそらく、「やりたくないことをやる」という計画を立てる段階で、精神的にやる気が落ちてしまうのではないかと思います。また、「やること」が「それほど嫌ではないこと」であっても、「合理的な順序を考える」という行為は、意外とパワーを消耗してしまうように思えます。
実は、最近「いつも後回しになっているもの」が、結局、手つかずで「延び延び」になっていました。「そろそろやらないとマズイ」という感じがしてきました。
「ならば、その優先順位を上げようか」、「となると、どういう順番が良いか」などと考えているうち、疲れてきてしまいました。やはり、「合理的な順序を考えること」、別の言い方をすれば「段取りを考えること」が、私には負担なようです。できない訳じゃなくて、「いろいろなことを考慮に入れて、最大限、合理的に考えようとする」から、すごく疲れるのです。
でも、考えてみれば、会社のようなところで「大勢に行動してもらう」訳でも、「長期的にその計画に沿って進める」訳でもない。「私個人の今日1日のこと」。もしかしたら、考えなくても良いことを考えていたのかも知れません。
そこで今日は、「 “合理的な順番を考える” ことに労力を使わない」という方針で、「普段なら先にやっていたこと」を後回しにして、「気になること」から始めてみました。その後の順番も、いつもとはずいぶん異なる流れになりました。
結果的に、気になっていたことが少し進んだので、今日はこれで良かったと思います。毎日、それで良いかどうかわかりませんが。
今日のことで、「自分は、親や学校での躾や会社員時代の習慣を、ずっと引きずっているのかも知れない」という気がしました。今後も、少し変化をつけて行動してみて、「とらわれ」から脱却していきたいと思います。