私は、自分の個性を再認識しようと過去の趣味などを振り返る活動をしています。6回目の今回は、「ドラム」についてです。
総括
私は、中学生後半から大学生にかけ、ドラムをやっていました。私にとって、ドラムは、信条を変えるほど大きな存在でした。「基本は大事」という考えになったのは、ドラムをプロに習ってからです。
ドラムとの出会い
中学の時、学校に来ていた実習の先生(先生というより、卒論か何かのために来ていた学生だったのだと思う)が、ドラムの腕前を披露してくれました。彼は、アマチュアながらもライブハウスで演奏するジャズドラマーでした。教室にあった、鼓笛隊で使う小太鼓を叩き始めたのです。
すごいテクニックで、私は、一発で虜になってしまいました。
さっそく、最低限の練習ができる用具を準備して練習を始めました。しかし、何をしたら良いのかわからず、最初のうちは、かなり怪しいことをやっていたと思います。やがて、エイトビートなどは一応できるようにようになりました。
この頃は、「基礎から練習しよう」というような発想はありませんでした。感化されて「カッコ良いと思ったから、自分もやりたかった」 ・・・ ただ、そういう単純な発想でした。
自己流の練習・バンド活動
中学の最後のあたりから高校まで、自己流で練習していました。
あるプロの教本を買い、そのプロのファンになりました。しかし、その教本のフレーズはとても難しく、なかなか歯が立ちませんでした。ドラムの専門雑誌があったので(現在でも発行されているようです)、その中で紹介されているフレーズなども練習していました。
練習はやっていたのですが、自分がやっていることが「楽器の演奏」だという意識はあまりなく、手足を動かすことがメインになっていました。今思うと、ちゃんとした音も出せないのにテクニックばかり追いかけていました。
また、高校の仲間とバンドを組み(2つやっていた)、学校のイベントや地域のイベントで演奏していました。今思うと赤面レベルです。
当時は、「手足が速く動くことがカッコ良いことだ」と思っていました。また、「人からカッコ良いと思われたかった」のです。さらに今思うと信じられないことですが、当時は、やたらと「目立ちたかった」ようです。
ドラムスクールで学んだ基礎
大学に入り、本格的にドラムを習おうと思いました。当時、埼玉に住んでいたので、都内には難なく通うことができました。
初めての教本を買った憧れのプロがスクールをやっていたので、思い切って、そこに通うことにしました。最初はドキドキでした。
プロの先生は3人いました。憧れのプロ、もう1人のプロ、クラシック奏者の3人。
クラスの生徒が2人だけだったことがあり、「マンツーマンよりすごい!」というジョークが出たりしていました。
私は、基礎の基礎、「フォーム」から習うことになりました。何を「フォーム」と呼ぶかは、いろいろあるようですが、通っていたスクールでは、「手首から上がって肘から下がる」ような感じで、腕全体を波打つように動かして打つ動作を「フォーム」と呼んでいました。腕を前の方に伸ばすのではなく、ド真ん中で、それを正確に継続するのは、かなり難しいことでした。
私は、このフォームの練習を徹底的にやりました。部屋に鏡をセットし、長期間、フォームばかり練習していました。
その結果、フォームに関しては、完全に合格が出ました。基礎の基礎の部分だけですけど、「プロと同じことができていた」と思っています。
さて、フォームを覚え、基本的な叩き方を習っていきます。「1つ打ち」、「2つ打ち」という基本があるのですが、それぞれに相当な課題があります。ドラムといっても「手だけ」で、足を動かすのは、まだまだ先です。手だけでも、かなり難しくなっていき、だんだん、ついていくのが辛くなっていきました。
でも、ドラムスクールに通ったことで、多くを学びました。
「音楽として、人に聞かせる音を出すことが大事」、「しっかりと音の粒(ツブ)を出すことが大事」、「ひたすら繰り返しを続けることが大事」などといったこと、たくさんあります。
また、「憧れのプロであっても接することができるんだ」という体験をしたし、「プロの演奏」を目の当たりで見たし、「プロを目指す人たちの意気込み」も見ました。
そして何よりも、「カッコよさを捨て、基本に戻った」自分がいました。
大学時代のバンド活動
大学では軽音楽部に入りました。練習場所ができたのは良いんですが、ヘビメタなど派手な音楽をやる部員が多く、その中での活動は、私の志向とはずいぶん異なるものでした。
私は、基本を習ったので、それを活かしたいと思ったのですが、ドラムセットで演奏すると、自己流に戻ってしまいます。単に楽器として鳴らすだけなら良い音を出せるようになっていたんですが、何せ、手足のコンビネーションなどは、まだ本格的には練習していない訳です。曲を演奏しようと思うと、高校の時と変わらなくなってしまうんです。
1年で軽音楽部をやめ、その後、別のクラブ(音楽系ではない)に入りました。そのクラブでも音楽好きがいたので、バンドを組んで学園祭で演奏したりしていました。
結局、やっていたことは高校生の時と同じ感覚です。むろん、高校生の時よりは上手くなっていましたし、丁寧に演奏しようという気持ちもありましたが、人前に出ると、やはり、「テクニックを出したい」という衝動に負けてしまっていた面はあります。
断念
大学時代、ドラムスクールに通い、軽音楽部で練習していた訳ですが、結局、ドラムをやることを諦めてしまいました。
「学業との両立が難しかった」というのが、直接的なきっかけでした。
大学では要領が良くないとダメでした。全教科マトモに勉強しようとしたら、相当大変。そもそも勉強は好きではなかったのでなおさら。しかし、周囲を見ると、勉強自体はどうでもよく、「どうやったら単位を取れるか、という作戦の方が重要」なようで、私には、そういうことができませんでした。
ある科目のレポート(あるいは答案)で、自分の考えを書いたら見事に落とされました。教授の思想と異なっていたからです。訳がわからない世界です。混乱と悩みがありました。
そんな悩み多き時期に、ドラムもうまくいかなくなってしまったのです。
ドラムに関しては、基礎の基礎はほぼ完璧に習得したのですが、それと同じレベル(質)で1つ1つの技術を積み上げていくのは、とてつもなく長い道のりが必要であることがわかりました。
毎日練習を続けることが、だんだん辛くなってきてしまったんです。
そのドラムスクールには、本気でプロになろうとしている人が来ていたので、とてもレベルが高かったんです。
私は、プロ(憧れのプロではない方のプロ)から、リズム感に関してかなり厳しいことを言われたことがあります。あまり思い出したくないけど、かなり堪えた。
自他ともに、プロレベルを目指す見込みはないと思ったんですよね。
「アマチュアとして嗜む」ような「ほどほどの楽しみ方」をすれば良いはずなのですが、私には、どうにもそのような「程よさ加減」を見出すのが難しかったんです。いわゆる「完コピ」をすることは好まず、オリジナルで、かつアドリブも入れたい性格なので、相応の技術の裏付けがないと、やりたいことができないことになってしまうのです。
前述の(写真の)大学での学園祭は、実は、一旦、ドラムをやめてしまってから、「アマチュアとして嗜む」感覚で出たものです。それなりに楽しいイベントではあったけど、どうにも不完全燃焼のような感覚がありました。
良くも悪くも、十分すぎるぐらいの基礎を習得したことが、かえってアンバランスになってしまったんです。
別の言い方をすると、「カッコ良さを追い求めなくなった」ことと「プロを目指す訳でもない」ということで、「だったら何がしたいのか」という目標が、当時としては見えなくなってしまったんだと思います。
まとめ
私は、このブログのプロフィールに「しっかりとした基礎がないまま難しいことをやるよりも、プロと同じやり方で簡単なことをやりたい」という信条を書いたのですが、これは、ドラムを通じて芽生えたものであることに他なりません。
私は、「基礎から積み上げていく」ことを理想形と考えるのですが、実際には、とてつもない時間がかかります。
そして今、私は、英語でそれをやろうとしています。それは、ドラムを諦めてしまった悔しさに対するリベンジでもあるのです。
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