うるさい素人

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自分の個性を振り返る(8) 英語・英語発音(前編)

私は最近、子供の頃や若い頃の趣味などを思い出しながら、自分の個性を振り返る活動をしています。8回目の今回は、「英語・英語発音」について(前編)です。今回・次回と、私にとって特に重要なことを振り返る回となります。

 

11歳で通い始めた英語塾

私は、小5の最後の方、おそらく3学期ぐらいから、英語塾に通い始めました。


突然、母親に行くよう言われたのです。別に「嬉しい」とも「嫌だ」とも思わず、「行ってみた」という感じでした。最初は「お試し」みたいな感じで、先生と2人の授業でしたが、通うことが決まって、定例の授業が始まりました。寺子屋みたいな感じで、10人もいなかったと思います。

 

内容としては、「中学から始まる英語を得意にする」ために、中1で使うことになる教科書「NEW HORIZON」を使って、英語の基本を学ぶ、という感じのものでした。

 

少し通って4月となり、私は小6に上がって、改めてクラスがスタートしました。クラスは11人だったことを覚えています。改めて、中1の教科書を最初からやりました。

 

先生は、普通の日本人、学校の先生のようなイメージではなく、「ジージャンがよく似合うお兄さん」という感じでした。イギリス留学から帰ってきて、英検1級を持っていました。かなり英語が話せたはずです。

 

授業は、今思うと、とても良いやり方だったと思います。


最初に、その日の新出単語について、矢継ぎ早に意味を教えてくれました。どうせ文章で何度も練習するのだから、「単語の意味を知る段階でもったいぶっていてもしょうがない」という考え方だったのだと思われます。

 

文章の勉強に入ると、1文ずつ、どうしてそうなるのかという文法を説明してくれました。実際には「文法」というほど堅い感じではないものの、三単現の s とか、a と the とか、some と any、ing形など、早いうちに習ってしまったと思います。人称代名詞なんかも、みんなで何度も復唱して覚えてしまいました。


小6の時に中1の内容を、中1の時に中2の内容を習ったんですが、教科書の内容を理解するだけでなく、主語を変えたり、複数形にしたり、時制を変えたり、受け身にしたり、という練習をけっこうやったと思います。先生から、「これをナニナニ形に変えてみて、ナニナニ君!」と言われ、パッと口で答えるような練習を結構やった記憶があります。

 

それと大事なのが発音。先生はとても発音が上手でした。今でも先生の発音の声が耳に残っていますが、いまだに、日本人であのレベルの発音をする先生は、滅多にいないぐらいだったと思います。

 

発音は、ほぼ一通り習いました。

 

音素については、母音も子音も、ごく一部を除き、すべてこの時に習いました。

 

単語についても、1つ1つ発音して、違うところは先生に直されました。

 

その頃にどれほど正しい発音ができていたかどうかは相当怪しいですが、少なくとも、先生が「強く明瞭に」発音する際の「口の形と音の印象」は、しっかり目と耳に焼き付いていて、それを真似て発音していました。

 

発音記号も一通り習いました。あいまい母音(シュワー)が「省略されることがある」場合、/ə/ ではなく /ə/ みたいに書くやり方も、当時からやっていました。

 

文章の発音も、皆で繰り返し練習していました。リンキングやイントネーションについても、基本的なレベルではあったものの、だいたい習いました。リンキングをやったといっても、タラタラタラとあやふやに発音するのではなく、しっかり発音。特に、語尾をしっかり発音しないと注意されました(例:t で終わるときは、しっかり t で止める)。


中学・高校での英語

中1から、学校での英語の授業が始まりましたが、すでに同じ教科書を2回やっていたので、授業は簡単に感じました。

 

塾の先生と学校の先生では、あまりに違いすぎて、学校の先生に対しては反抗的になっていこともありました。

 

中2になると、通っていた塾は人気が出てしまい、別のプレハブの建物に移って、なんと40人クラス。今まで「寺子屋」感覚だったのが「学校みたい」になってしまいました。

 

私にとって中2は悩み多き年代。いろいろなことがあり、環境も変わりました。大人数になってしまった塾へも行かなくなってしまいました。

 

私の関心は、スケボー、ドラム、陸上など、身体を動かす方向にシフトしていました。

 

基本的に勉強は好きではなかったのですが、せっかくの英語だけは、悪い成績を取りたくなかったので、カセットを使って勉強していました。当時から「英語は聞いて発音するもの」だと思っていたので、中1~中3を通し、教科書「NEW HORIZON」のカセットを買って勉強していました。

 

中学・高校の時の英語教材 (2014年、実家を片付けた際に撮影)

左にある3つ(緑、緑、グレー)が「NEW HORIZON」のカセットです。グレーのが中1用で、これだけ色が違います。記憶が定かではないのですが、この1巻は姉のお下がりだった可能性があります。
少しスリムの青い3巻は、高校の教科書「UNICORN」のカセットだと思います。
もう1つ「What to Say When Abroad」という教材もありますが、これは家にあったもの。父か姉が買ったものだと思います。

 

高校に入っても、勉強はまったく楽しくなかったです。でも、英語だけは得意科目でいたかったです。「得意」という意識があったので、落ちていくのが嫌だったのだと思います。

 

高校の英語の教科書は、「UNICORN」というクリーム色のものでした。高校なので仕方がないのですが、すごく単語が多い。やたらと新しい単語が出てきて、本当に面白くなかったです。

 

予習で「辞書で単語を調べていく」というのが何とも嫌でした。授業では、「予習をしてきたかどうかを確かめられる」ような内容で、「先生は、いったい何を教えてくれたのか」という感じでしたね。

 

それでも、私は、教科書のカセットを自分で買って、自宅で、「耳で聞いて音読する」ことをある程度やっていました。前掲の写真の青い3巻がそのカセットのはずです。


大学受験

勉強が嫌いな私でしたが、私立の理科系に進学することにしました。

 

受験は3教科。「数学」、「物理(化学との選択)」、「英語」の3つの合計点。


理科系へ行こうとする割には数学が苦手だったので、英語で点を稼ぐことにしました。当時、理科系で英語が得意な人は少なかったので、かなり有利になっていたと思います。


希望校には入れませんでしたが、なんとか、私立のある大学の理工学部へ入学することができました。


大学での授業

一般教養で、英語とドイツ語の授業がありました。


どちらも「ありがちな翻訳の授業」。順番に当てられて、原文を読んで訳文を言う方式で、まったく面白くなかったです。

 

それでも、私は、私らしく、自分でカセットを買って、聞いていました。

 

ある時期から、ネイティブの先生による英会話のクラスがありました。少人数だったので、選択制の授業だったと思います。舌を下の前歯の裏につけることは、この時に習いました。

 

視聴覚教室での英会話の授業もありました。「ビデオを見て、自分でも発音してみる」というようなやり方。それなりに面白かったと思います。ビデオに出てきたある場面、ある1つのフレーズについては、映像も音声も、いまだに覚えています。


ここまでのまとめ

子供の頃に、学習塾で英語の基礎と発音を習ったことが、何よりも大きかったです。

 

一方、学校の授業については、中学から大学まで、面白くなかったし、ごく一部のことを除き、役に立ったとは思えません。ただ、中1から大学まで、テキストの音声教材をすべて入手して聞いていました。これをやり通したことは大きかったと思います。

 

後編「(9) 英語・英語発音(後編)」へ

 

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