うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

本当に「やりたいこと」を封印しすぎていたかも

今朝、起きた時から「疲れが取れていない」感じがあり、「しばらく楽に過ごした方が良いんじゃないか」という気がしました。

 

こういう時は、本当に自分が「やりたいこと」をやって過ごした方が良いと思ったのですが、「やりたいこと」を思い浮かべても、気分が楽にならない。「なんだこの気持ちは!?」と思って、あれこれ考えてみました。

 

間違いなく「やりたいこと」はいっぱいあるんですが、よく考えると「やりたいこと」と「やらなければいけないこと」の区別があいまいなのです。

 

「やりたいこと」だと思っていたことも、実は、「今後の仕事や生活のこと」のためであることがほとんどです。直接的ではないにせよ、ほとんど「生きていくために必要なこと」につながっている、ということに気づいたのです。

 

私は、今後は生きていく上で「得意なこと」を活かしたいと思っています。趣味と実益を兼ねようとしている訳です。だから、趣味と実益が混じるのは当然なんですけど、今の考え方のままでは、私の「得意なこと」や「趣味」は、必ず「実利」につながっていかないといけない、ような感じなんですよね。

 

なので、「何の利益にもならない」、「誰の得にもならない」、「時間の無駄」みたいな、「まったく自由な趣味」といったものは、タブーというか、まったくと言って良いほどやっていない気がするんです。

 

冷静に考えると、英語発音の研究とか、パソコンいじりとか、ネットでの活動とか、もし完全に自由だったら「本当はやりたい」ということはいくつもあるのです。でも、それらに対しては、「そんなこと、やっていられないよ」という囁きがどこかにあって、自分で封じちゃっているんですよね。

 

今朝、これに気づいたので、今日は、少しでも、何か「本当にやりたいこと」をやってみようと思いました。

 

ところが、午前中、用事があって、役所などに行ってきて、なんだかさらに疲れてしまいました。

 

結局、「やりたい」と思ったのは、「寝ること」。

 

「もうこれは、疲れていていてアウトだ」と思って、休んでいました。頭の中で、いろいろなことが回り、脳が整理しようとしているんじゃないか、という感覚がありました。

 

どうにも、何かが噛み合っていない私、「やること」と「ペース」の調整の模索は、まだまだ続きそうです。