うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

毎日活動しているのに進んでいない不思議(若い頃との比較)

毎日、「1日にできること」の少なさに嘆いているところがあります。今日、ふと、「大学生の時とか、あんなに怠惰だったのに、いろいろやっていたよな」と不思議に思いました。

 

「何が違うのか」って考えてみました。

 

すぐに思い浮かぶのが「体力」とか「時間の自由さ」みたいなもの。それは間違いなくあるはず。

 

もう1つ、年齢の違いではなく時代の違いによる「物」や「情報」の量。今はどちらも多すぎて、翻弄されている面は間違いなくあります。

 

でも、「それだけかなぁ」という気がします。若い頃のような「体力」はなくとも、「集中力」や「根気」は若い頃よりもずっとあるし、「物」や「情報」を取捨選択したり管理したりすることに関しては、若い頃とは違った「知恵」があります。

 

そういう、どちらかというと「量」的なものではなく、もっと違う何か「質」的なものがあるようなあるような気がします。以下2つは、「量」的に考えるとつじつまが合わないような気がするのです。

 

学生の頃は、いろいろなことをやっていました。「では、毎日、きっちり何かやっていたのか」というと、けっこうダラダラしていた記憶があります。でも、1学年進む頃には、明らかに違っていたんです。

 

今は、毎日毎日、あまり「自由」を実感できないぐらい、1日にいろいろなことを詰め込んで毎日実践しています。でも、何年経っても相変わらずで進んでいないような感じです。

 

これは不思議。

 

答えはないんですが、考えているうち、思い浮かんだことが2つあります。

 

1つは、毎日、多くの活動(作業)をやってはいるものの、会社みたいに「管理」的なことばかりやっていて、「中身」・「本題」・「自分が主役になること」にあまり「入っていけていない」のではないか?ということです。

 

もう1つは、いろいろ行動していても、1回に「塗る量」が薄いような感じがすることです。たとえるなら、若い頃は「油絵」で、今は「薄い水彩画」。昔は1回で済んだのに、今は何回も塗り重ねないといけない感じ。

 

若い頃と今とでは「記憶力」や「習得能力」の違いがあるんだと言われてしまえばそれまでかも知れませんが、そういう単純なことではなくて、もう少し不思議な違いがるように思います。なんか、「生きている時の、行動した時の、私の存在の軌跡」みたいなものが「薄い」んじゃないか、という気がするんです。

 

今日(というかこれを書きながら)思いついただけなので、まだ検証不足。もう少し仮説を考えて、その仮説に基づいて暮らしてみると、もう少し満足感・充足感が出て来るかも?と思ったりしました。