最近、「もともとは苦手ではなかったのに、やろうという気が起こらないこと」がいろいろあります。例えば、文章をまとめたり、勉強したり、組み替えを伴うような作業をしたりすることです。
これらには、何か共通点がありそうです。なんとなく「脳の中の同じような領域が使われそう」なものたちです。
こういうことができないと、何かをまとめあげたり、何かを習得したり、とにかく、前に進もうとすることに対して障害になってしまいます。
今日、「若い人が好きなことに打ち込んでいる」ことが紹介されているものを見る機会があり、「あの勢いだと、どんどん進んでいくんだろうな」と思って、今の自分との違いが気になりました。「歳の違い」と言ってしまえばそれまでですが、「いや、それ以外に何か原因がある」と思いました。私も、若い頃は、かなり没頭するタイプで、60近くになった今でも「また、あんな感じでやりたいな」という感覚は残っている訳ですから。
いろいろ考えているうち、「彼らには、私たちシニア世代が感じるような “心配事” がないんじゃないか」と思うようになりました。もちろん、学校生活、受験、就職、昇進、恋愛などなど、心配事はいっぱいあるはずですが、そういうものとは違った、自分自身のことを超えたモヤッとした心配事(上手く言えないけど)。
そう考えるに至った経緯については、少し複雑ですし、書き出したりすると理屈が破綻しているかも知れないのでやめておきます。
まあ、難しく考えなくても、「心配事が前へ進むのを阻害している」というのは、なんとなく当たり前の話ですよね。
私たちのような「自分のことだけでなく、身内のことなどいろいろな事柄を抱えている世代」にとっては、どうしても心配事はつきまとうものです。でも、「だったらダメか」という訳ではないはずです。悩みがある中でも、それを忘れて物事に没頭することは、それなりにあるように思います。
とすると、「心配事があっても、それを忘れて没頭できること」と、「何かをやろうと思っても、心配事が浮かんできて、ダメになってしまうこと」の違いを考えれば良いことになります。
「どういうものだと心配事に負けがちになるのか」という対象については、わかってきている訳だから、「心配事に勝つか負けるか(心配事を忘れていられるか、頭に浮かんでしまうか)を左右する要因」がわかれば良いはず。
今のところ、その答えはないです。でも、今後、その違いを見出して、心配事に負けないようかわしていくことを覚えれば、今よりもずっと、物事が進むんじゃないかという気がします。
ま、考えてわかるようなものではないので、何かの拍子に、ふとした気づきがあれば良いかな、ぐらいの感じで意識していこうと思います。