うるさい素人

質を重んじ物事の本質を見抜く! 脱サラして英語発音講師を目指すオヤジのブログ

世の中のおかしなことに気づいて自分で考えたいもの

最近、運転中などに遠くの景色を眺めながら、「世の中、おかしくなってしまったものだ」と思うことがよくあります。

 

「かつては、こんなふうではなかった」と嘆きたくなることが多いものの、慣れてしまって、「はて、以前はどんなふうだったっけ?」と一生懸命思い出して、ハッとしたりします。

 

さらに、あまりにも「おかしなこと」がいっぱい起きているのに、「おかしいんじゃないか?」と言う人がほとんどいない、という不思議さもあります。

 

政治とかでも、いろいろなことが起きているようですけど、なんか、不自然なことだらけだと思います。そもそも、「ナニナニが悪い」、「誰々が悪い」って、攻撃対象が明確になっていること自体、不自然なことだと思うんですが。

 

ボロクソに叩かれている人って案外マトモなことを言っていたりするのに、もう、マトモに聞いてもらえなかったりするようです(一部、叩かれている人で本当におかしな人もいますが、言っていることもおかしいです)。

 

かく言う私も、会社員時代、いわれのない不条理な扱いを受け、いくら丁寧に説明しても、私の言うことはすべて間違っている、みたいなレッテルを貼られてしまって、ものすごく苦しんだことがあります。そういう時の関係者って、小学生でもわかりそうなことすら、わからなくなってしまっていたように思います。「あいつがおかしい」という答えが先にあるものだから、その人たちの頭の中でマトモな論理回路を通すと私が正しいことになってしまうから、ぶっとんだ理屈でつなげてしまっていたんだと思います。

 

そう思うと、私たち日本人が「周囲の何かに流されてマトモに考えることをしなくなってしまった」のは、最近のことではなく、かなり昔からかも知れません。

 

本当は「おかしい」と気づきかけたのに、誰も「おかしい」と言わないから、「おかしくないんだ」と納得する。本当は「あの人の方が正しいのでは」という気がしたのに、みんなが「あいつが悪い」と言うから、「やっぱりあいつが悪かったんだ」と納得する。こういう流れに、なんとかブレーキがかかると良いのですが。

 

一部の人が、この先の日本を憂う発言をしていますが、私も本当にそう思います。かなりの悲観論を言う人もいますが、最近、やや楽観論も見受けられるようになったように思います。

 

いずれにせよ、最近のおかしさと、それが語られないおかしさについて、なんとも解せない気分になってしまったので、こんな記事を書いてみました。